(前回:重度障害の子でも、自分で「選ぶ」 母親たちが教わったこと)
「分からないなら体験してみよう」市職員も動いた
電動車いすで外出する機会が増える中、押富さんが不便に思ったのは、歩道の勾配だった。駅から坂道を登って帰宅するとき、家の手前の交差点から歩道に入るのが一人では難しく、安全を確かめながら車道に入ったり、裏道を大回りしたりしていた。障害者差別解消法が施行された2016年の暮れ。ピース・トレランスが主催したシンポで「外出を阻むバリア」の一つとして紹介した。参加したほかの車いすユーザーたちも同様の体験を語った。
当時、尾張旭市の土木管理課にいた北原邦泰さんは「押富さんが指摘された歩道は、私たちの目には普通の道に見えて、問題に気づかなかったんです」と振り返る。課内で相談し「問題点が分からないなら体験してみよう」と、同市社会福祉協議会から車いすを借りて通ってみたら「転倒しそうになりました」。勾配を緩くする改良工事がさっそく行なわれた。 シンポで指摘されたほかの場所も点検した。
市が管理する道路の下には、さまざまな配管が通っていて、簡単に掘り返せない場合も多い。押富さんは一緒に現地に行き「ここの側溝にふたをすれば、斜めから緩い角度で登れるよ」などと具体的な案を示してくれた。作業療法士としての豊富なアイデアが心強かったという。
行政の貴重な「相談相手」に
障害者差別解消法では、行政や事業者は障害者が社会生活を送るうえで感じる障壁をできるだけ取り除くようにすることを求めていて「合理的配慮」と呼ばれる。患者・障害者の望む医療や介護を尊重するための「意思決定支援」と並んで、共生社会の重要なキーワードだ。障害者の主体性を尊重する時代の流れの中、押富さんは、行政にとっても貴重な相談相手にになった。
市役所周辺の歩道整備や、名鉄駅の再開発事業でも活躍した。
「歩道のベンチの位置がバス停に近すぎて通りにくい」
「エレベーターの車いす用ボタンで『閉』を押してから閉じるまでの時間が短くて、挟まれそうになる」
「看板の位置が車いすからは目に入りにくい」など押富さんの指摘をもとに、改良が進んだ。
「シンポをやって本当に良かった。ほんのちょっとしたきっかけでこんなふうに変わるんだもん」と押富さんはブログでつづった。街を良くしていこうと真剣に考える職員たちの姿に、公務員のイメージもずいぶん変わったという。
押富さんの出身校・日本福祉大学高浜専門学校の学校長を務めた田原美智子さん(NPO法人作業療法支援ネット副理事長)は、入院中の押富さんを見舞ったり、論文執筆のアドバイスをしたりして見守ってきた。多忙な日々を送る教え子に「強くなったね」とメールしたら、こんな返事が来た。
「強くなったかなー。どんどん自分の世界が広がってきて、その中でOT(作業療法士)の視点で見るともっともっとできることがたくさんあって、自分ができることでOTの視点を活かすことができれば、それが私なりの作業療法のやり方かなって思っています」(17年6月)。
病院の作業療法士としての復職は無理でも、地域の中で能力を発揮できる機会はふんだんにあった。