質問は当然、今後の活動について及んだ。
「まだ引退して間もないので」と明言は避けたものの、国枝は随所に車いすテニスのさらなる発展と充実への情熱をにじませた。
「現役中もよく柳井社長に『終わったら何やるんだ? 一緒にビジネスやろうぜ』とお声がけいただいていたんですけど。現役中に引退後のことを考えても本当に答えが出てこないというか。お風呂に入っている時に20分くらい考えてはみるんですけど、答えが出なかった。
引退発表から2週間くらい経って、自分の中では何をやりたいのか、ぼんやりと出てきた。いま言っちゃうとそれをやらなきゃいけなくなるので、心の中に秘めておきたいなと(笑)」
一度は話を終えたが、誠実な人柄なのか、競技への情熱なのか、国枝は次のように続けた。
「現役生活で何と戦ってきたのか? と考えると、一つは相手、自分との闘いもある。そしてもう一つ、車いすテニスを社会的に認めさせたい、スポーツとしていかに見せるかにこだわっていた。
もともと車いすテニスって、管轄は国際テニス連盟で、健常者と障害者の垣根のないスポーツなんです。それをみなさんに知ってもらいたい思いが強くあるので、そこの活動がこの後も続いて行くのかなと、ぼんやり思っています」
国枝が優勝を重ねるたび、日本国内での車いすテニスに対する注目は上がった。国枝の勝利は、車いすテニスの認知向上と切り離せない。それほど国枝は、車いすテニスの普及と地位向上に貢献し続けた。
「ATPのジャパンオープンでは車いすの部も創設していただいて、昨年は満員のお客様の前でプレーできたというのは、車いすテニスをスポーツとして受け容れられたと感じた瞬間でもあった。スポーツという舞台にようやく上がってきた。もっと若ければ僕も『まだまだ行くぞ、ここから楽しいぞ』というところかもしれませんが(笑)。
でも、後を託せる選手たちがもうすでに日本にはいますので、そういった選手たちのサポートもしていきたいし、大会に関わっていきたい気持ちももちろんあります。世界中の大きなプロトーナメントにどんどん車いすテニスの部門を併設するのもいい。そういった大会を作って行くことも僕ができることかなあと」