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2023.02.10

韓国のミステリ小説が熱い 『破果』が描く老女の殺し屋、宿命の物語

Getty Images

「いま、韓流が熱い!」などと改めてのたまうと、「何をいまさら」と叱られるかもしれない。しかし、「冬のソナタ」(2002年)のメガヒットでブレイクした韓流は、その後K-POPやミュージカルなどの人気を追い風にテリトリーを着実に広げ、今日に至っている。
 
コロナ禍でステイホームを強いられた状況下においても、動画のサブスク利用者を爆増させた「愛の不時着」や「梨泰院クラス」はじめ、「イカゲーム」、「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」とヒットドラマをつるべ打ちし、韓流はいままさに第4次ブームの真っ只中にある。そしてコスメ、グルメ、ファッションといった興味の対象も、コリアン・カルチャー全般へとさらなる広がりをみせつつあるようだ。
 
そんななかでも目立った動きはといえば、韓国文学の翻訳紹介ブームである。チョン・ユミの主演で映画にもなった『82年生まれ、キム・ジヨン』がベストセラーになったのはまだ記憶に新しいが、昨年も多くの韓国文学が日本の読者に届けられた。
 
今回、紹介するク・ビョンモの『破果』(小山内園子訳、岩波書店刊)は、そのなかでも極めつけの1冊といえるだろう。

老女の殺し屋に立ちはだかる壁

最初のシーンは、金曜日の夜、ニンニクや酒の臭いと混雑の人いきれでむせかえるようなソウルを走る地下鉄の車内だ。フェルト帽と地味なリネンコートに身を包んだ老婦人が、集金カバンを抱えた男にさりげなく近づいていく。
 
その直後、降車の人波でホームに押し出された男が、その場に倒れたまま動かなくなった。男にナイフをふるった老女は人ごみに紛れると、いつの間にか姿を消していた。爪角(チョガク)と呼ばれるその女の稼業は、殺し屋だった。
 
防疫業の名のもとに殺しを斡旋する組織(エージェント)のなかでも、45年というキャリアを誇る爪角は、スタッフから「大おば様」と呼ばれる創業以来の超ベテランだ。しかし引退の二文字がちらつく年齢となり、家族と呼べるのは無用(ムヨン)という名の老犬だけという侘しい毎日を送っている。
 
そんなある時、仕事で下手をうち、自ら深手を負ってしまう。カンという親切な医師に救われたのも束の間、今度は生意気な同業者の若造トゥの目の前で、ターゲットを取り逃すという大失態をおかしてしまう。
 
本好きならば、作者のク・ビョンモの名は既にご存じだろう。韓国女性文学シリーズ(書肆侃侃房刊)の1巻として『四隣人の食卓』というオムニバス長編が翻訳紹介されているし、白水社から出ている韓国フェミニズム小説集と銘打たれたアンソロジー『ヒョンナムオッパへ』で、短編の「ハルピュイアと祭りの夜」が読める。
 
しかし、わずか2つの作品で作者を判断するのは難しいかもしれない。本国ではフェミニズム文学の担い手と見なされているようで、この『破果』もその文脈で語られ、高い評価を得ているという。
 
原題の「파과」には、「旬を過ぎ、傷んだ果実」と「女性の16歳という年齢」の2つの意味があるそうだ。しかし、一見アンビバレントな関係にあるこれら2つの要素は、本作の主人公こと60代の女殺し屋である爪角のなかに、同時に存在するのである。
 
爪角は女性であることに加え、高齢者となったことでも社会から冷たい視線を向けられ始める。しかしそんな理不尽に屈することなく、プロとしての誇りを持って、課せられたミッションを粛々と遂行している。誰に頼るでもなく、自らの足で歩き、毅然と生きているのだ。
 
本国でこの作品が読者の支持を集めたのは、爪角というヒロインのそんな凛々しく逞しい姿が、多くの女性たちをはじめ、フェミニズムに理解を示す読者たちの心を捉え、共感を呼んだからに違いない。
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文=三橋 暁

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