韓国ノワールの映画に通底
しかし、この『破果』には、もう1つの楽しみ方があると思う。ベテランの殺し屋を主人公にした犯罪小説として、である。世間一般で見かけることはまずないが、フィクションや映画の世界で、殺し屋業はよくあるビジネスの1つだ。ローレンス・ブロックの「殺し屋ケラー」のシリーズやトレヴェニアンの「シブミ」をはじめ、最近では伊坂幸太郎の原作をブラッド・ピット主演で映画化した「ブレット・トレイン」が、組んず解れつを繰り広げる個性派の殺し屋たちを描いて痛快無比の面白さだった。
そこに登場する同業者たちと比較しても、爪角のスキルの高さと実績は、少しも見劣りしない。百戦錬磨の凄腕を誇り、「守るべきもの」をつくらないというポリシーを貫くことで、プロフェッショナルとして一分の隙もない。長年の実績で組織からの信頼もきわめて厚い殺人のスペシャリストなのである。
そんな向かうところ敵なしだった彼女の殺し屋人生に、ある日、異変が起きる。気がつくと、見えない壁が彼女の前に立ち塞がっていたのだ。それは「老い」であり、「人としての温もり」だった。順風満帆だった彼女の仕事ぶりに、微妙な狂いが生じていく。
韓国の出版界が、エンタテインメント文学の分野でも十分に通用する質の高い作品を供給していることは、すでにチョン・ユジュン(『種の起源』)やイ・ドゥオン(『あの子はもういない』)らのコリアン・ミステリの数々でおなじみだろう。
面白いのはそれらの作品が往々にして、同国の「韓国ノワール」と呼ばれる映画と親和性が高いことだ。作品のなかでは、時に過剰とも思える激しい暴力沙汰が繰り広げられ、夥しい量の血が流れる。人の業の描き方に、魂ばかりか肉体をえぐる凄まじさがあるのだ。
そんな韓国ノワールの世界と通底するという点で、本作もその例外ではない。冒頭の地下鉄のシーンしかり、クライマックスの血で血を洗う決闘場面またしかり。映像にしたら、さぞや映えるであろうという場面が、次々と読者の前に繰り広げられていく。
中盤からは時間軸を過去へと遡り、爪角の数奇な過去が詳らかにされていく。かつて過ごした育ての親との日々と、そこでの試練の数々がカットバックの手法で語られていく。疑似家族との思い出からも、血なまぐさく、暴力の匂いが立ち上るが、本作が宿命の物語として運命の坂道を転げ始めるのはここからなのである。
生きるために、冷酷で非情に徹してきた殺し屋が、大切なものとの出会うことで窮地に陥るという物語は、この手の作品では定石かもしれない。しかし、過去と現在の同時進行により主人公の葛藤を二重写しにしながら、迫り来る老いに抗い、自らの宿命とも戦うヒロインの壮絶な姿に既視感はない。
宿命の対決となるクライマックスも、韓国ノワールの世界が映画に負けない総天然色の迫力で繰り広げられる。そんななか、悠々たるオープン・エンディングの妙手が、ユーモアさえも交えて、読者の心になんともいえない余韻を残すのだ。
女性であることに加え、老いることで社会から背負わされる軋轢に屈せず、主人公の生への情熱は彼女の中で熾火のように燃えさかる。どこまでも殺し屋であることを貫こうとするヒロインの生き方に迫った異色の殺し屋小説である。