経営・戦略

2023.02.09 09:15

東京ガールズコレクションが地方創生とつながるまで|クレイ勇輝

松村敦

「オセロの四つ角戦略」でNo.1ファッションショーへ

クレイ TGCがファッションイベントの枠を超えて、現在のプラットフォーマーになるまでに、どのような苦労があったのですか?

村上 TGCが産声をあげたのは2005年8月です。この第1回目から10年くらいの間は決してスムーズな道のりではありませんでした。毎日、電話は200本、打ち合わせも10本近くこなす、そんな繰り返しでした。

2000年の初頭は雑誌全盛期で、女性ファッション誌でも当時は『ViVi』や『CanCam』、『JJ』、『Ray』、『Cawaii!』や『S Cawaii!』など、30誌近くあったと思います。だいたい30万部~100万部が発行されていて、それぞれにコミュニティが形成されていた。見方を変えれば、日本独自のガールズカルチャーが存在していたわけです。

僕たちはこのカテゴリの盛り上がりを、マーケットとして注目していました。では、そこにはどんな参入アングルがあるか。三十何誌目かの新雑誌を創刊する方法もある。でもそれは単に既存誌の背中を追うだけにならないか。業界全体で考えるなら、そのコミュニティを束ねたファッションショーを創る方法もあるのではないか。そこから僕たちは、「日本が誇るガールズカルチャーを世界に向けて発信する」、そのように照準を定めました。そして会場にするのはアリーナクラスで最大規模の国立代々木競技場第一体育館やさいたまスーパーアリーナにしよう――つまり、No.1のファッションショーを立ち上げることを決めたんです。
村上範義 株式会社W TOKYO代表取締役社長。早稲田大学社会学部卒業後、広告代理店へ就職。東京ガールズコレクションに立ち上げから参画しキャスティングプロデューサーを務める。2012年、チーフプロデューサーとしてイベントを統括。2014年、株式会社F1メディア代表取締役就任。2017年、社名をW TOKYOに変更した。


クレイ
 新しいカルチャーを作るのも、アリーナクラスで開催するのも簡単なことではないですよね。雑誌のブランドを利用してファッションショーを行う方が現実的だと思うのですが。

村上 ですからはじめの10年は、毎日その調整のためのタスクに追われました。モデル事務所は新興イベントに協力して生じる不利益を考えて二の足を踏むこともありました。そういう業界の空気のなかで僕たちの考えを知ってもらうために、挨拶やお詫びを日々繰り返しました。東京ガールズコレクションは何を目指しているのかを理解して納得してもらうためには、それくらいの時間が必要だったんです。

そういう状況で僕たちが考えていたのは「オセロの四つ角戦略」です。ファッション誌はそれぞれに専属モデルがいて、雑誌ごとにタテ割りの構造がありました。東京ガールズコレクションを発展させるためには、その壁を超えて各誌のトップモデルに出ていただかなければならない。でも、業界の「角」さえ押さえられれば一気に全体の流れを作ることができる、そうとも考えて、そのためにできることは何でもやりました。

そうやって日本のトップモデルがランウェイに勢ぞろいしたことで、サブカルのような存在だったガールズカルチャーが、オーバーグラウンド――雑誌の垣根を越えて、さらには広く、若い女性に向けたイベントに変化した。そうして「TGC」と呼ばれるようにまでなったんです。

クレイ そういうストーリーを経てTGCは大きくなったんですね。ではそこから地方創生とどのように結びついていったのでしょうか。
次ページ > 「TGC」ブランドをシェアラブルに

文 = 児玉 也一、撮影 = 岡田清孝

連載

地域に根差す「小さな巨人」とニッポンに希望を灯そう

ForbesBrandVoice

人気記事