窮地のリーダーとして腹をくくる|経営のヒントになる「人間の安全保障」活動とは(前編)

立教大学大学院の長 有紀枝 教授(撮影=藤井さおり)

同じ留学生仲間で、声楽を専攻していた気のいいオーストリア人学生は、「自分が個人的に攻撃されるなら耐えられないけれど、肌の色など、自分の落ち度ではないことで差別されるなら、気にする必要はない、私だったら気にしない」と明るく慰め、励ましてくれました。しかし自分の落ち度ではない、肌の色で差別されるからこそ堪えがたいのだ、ということを説明しても、理解してはもらえませんでした。
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そのような経験を経て、私はアメリカが大嫌いになって帰国したのですが、今度は日本で衝撃を受けました。私が嫌ったアメリカと同じ姿が日本にあったからです。帰国後、日本でもあらゆるところに差別が存在する事実を目の当たりにし、それまで自分が多数派だから気づかなかっただけだ、という事実に愕然としました。

留学前も頭ではわかっていたつもりですが、アメリカで少数者の経験をした後で見る日本の姿は、それまでとは違っていました。この体験が、「差別」や「マイノリティ」を改めて考えるきっかけとなりました。

また、留学中のある授業で、アメリカではアメリカ先住民の人々が、すべての民族の中で最も自殺率とアルコール依存率が高いことを知りました。そういった問題の研究を続けたいと考え、一度は外資系の銀行(スイス・ユニオン銀行)に就職したのですが、1年で退職。世界中の先住民について研究しようと意気込み、大学院に進みました。
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卒業した大学に戻る形でしたが、「民主主義の問題と絡めるなら、自分のゼミでも先住民の研究ができる」とおっしゃってくださった現代政治学が専門の先生のゼミに入りました。

大学院では、世界の先住民の前にまず自分の国のことを知ろうと、アイヌの政治参加について研究しました。休みのたびに北海道に通い、アイヌ系の人口の多い市町村議会の議員選挙について、関係者にインタビューを重ねました。

そうして修士論文を書きましたが、論文としての結論とは別に、現地に何度も足を運んで話を聞くうちにわかったことがあります。アイヌの人への差別や民族についての考え方も、他の少数者に対する見方も、一言でくくれないくらい多様でした。端的に言うと現実は複雑で、机の上で白黒つけられる問題ではない、ということです。

それが研究者としての私の原点です。それは後に、難民を助ける会の駐在員として過ごした民族紛争の現場で、加害者と被害者が国や町、村ごとに、時には通りや川を隔てて入れ替わる様を見る際に、本当に役に立ちました。
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インタビュアー=谷本有香(Forbes JAPAN執行役員・Web編集長) 文=中村麻美 写真=藤井さおり

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