キャリア

2023.01.28

違和感をそのままにしない。鳥取から世界を変える「タルマーリー」の挑戦

「タルマーリー」職人の渡邉格さん(右)と女将の麻里子さん(左)

しなきゃいけない、でなく、したいこと

しかし、だ。マリさんの人生は実は悩みと葛藤の連続だった。「私、ずっと自分に自信がなかったんです。タルマーリーの面白さはイタル独自のパンづくりにあるんだと。取材などでも、私が担当する販売や経営の仕事に注目する人はいなかったし」。イタルにしかできないことはあるけど、私の代わりはいくらでもいると思ってた、というマリさんの言葉には胸が締め付けられる。

「『腐る経済』出版以降、彼に会いにくるお客さんが増えたんですけど、パンづくりだけで気力も体力も精一杯なのにいろいろ安請け合いするから、すぐ倒れるんです。だから私が愛想の悪いボディガードみたいになっちゃって、本のAmazonレビューで『氷の女王』なんて書かれたことも(笑)。あの時は泣いてましたね......」

そこに変化が起きたのは、イタルさんがパン職人からビール職人になって時間的精神的に余裕ができてから。マリさんはやっと自分自身を見つめるようになった。「『自分のための時間』というものを初めて意識して、戸惑いました。しなきゃいけないこと、じゃなくて、私がしたいことってなんだろう?と」。

マリさんは智頭に移住してから、公共工事で美しい森や川の景観が変わっていく様に心を痛めてきた。タルマーリーに不可欠な野生の菌による発酵環境を守るためにも、地域との連携が必須だと感じ、この時期に出会い意気投合した地域の女性経営者たちと「智頭やどり木協議会」を立ち上げた。事業と家族を守るために奔走してきた女将はいま、地域おこしのキーパーソンにもなっているのだ。



「最近しみじみ、自分は幸せだなと感じます。信頼しあえる家族や仲間をはじめ、国内外にたくさんの応援者がいて、自分の蓄積に厚みが感じられるようになってきた」。

さて、そんなふたりは現在、ビールの原料として使っている外国産の麦芽をなんとか地元産にできないかと、地域活性化につながる麦芽工場の建設計画に燃えている。「自然から価値をつくって初めて、資本主義社会から飛び出した新しい尺度で自由に生きることができる気がするんです」とイタルさん。

タルマーリーの起こすバグが地域を、世界を変えていく予感が、空気を伝導してこちらにも伝わってきた。そうか、このおいしく澄んだ空気のなかに野生の菌が漂っているのか......。大きく深呼吸をするとまるでバグも一緒に吸い込んだようで、私たちもタルマーリーを起点とする、奔放でクレイジーなコミュニティの一部になれた気がした。


渡邉格・麻里子◎2008年、千葉県にタルマーリーを開業。現在は鳥取県でパンとビールの製造販売、カフェ、宿泊事業を展開する。既存の資本主義経済を「食」から見直す実践者であるふたりには国内外にファンも多い。著書に『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』『菌の声を聴け』

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文・企画=湯気 構成=清藤千秋 写真=若原瑞昌

この記事は 「Forbes JAPAN 特集◎私を覚醒させる言葉」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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