3.「文部科学省」が尊敬されていない?
スタンフォードにいれば出会う、国費で留学してくる官僚諸氏について、説明しよう。・だいたい、東大や京大、早慶卒である
・1人ひとりはみんな賢くていい奴らだ
・スタンフォードでマスターを取った後で転職してしまう
(解説)派遣されてスタンフォードに留学、学位取得後、派遣元の省庁に帰らず一般企業への就職を決めた若者に、「官費で、つまり国民の血税を使って留学をしたにも関わらず、なぜ民間への転職を決めたのか? 国費留学だから(あるいは親に借金しても)学費や滞在費を返済しなければならないよね?」と聞いたところ、「就職が内定した企業では、やれることは省庁の10倍、しかも給料は3倍なんです。私のことを責められますか?」という回答が返ってきた。
・文部科学省と、そこで働く人達をかならずしも「尊敬」しているとは限らない
最後の項目が一番の問題である。特に(一般的に)エリートと言われる財務省、外務省あたりの人間は、直接的にではないが、文部科学省を同等に扱わない発言をして憚らない。
だが、教育機関の改革や変革を司る省庁が、ともに国を良くすべく働いている省庁の人間から尊敬の念を抱かれなければ、教育が良い方向に変化するわけがない。
4.変化を嫌う国民性
私も身に覚えがある。一緒に働く同僚に比べ、私は著しく変化に弱い。ミーティングで座る位置が少し変わっただけで、違和感が顔に出てしまう。それを同僚に後から指摘されるたびに「俺は日本人なんだ」と、寂しく、また、外国にあっても自身のアイデンティティを再認される瞬間であるという意味では、うれしくも思う。個性よりも集団、そして終身雇用制がベースだった我々日本人の社会は、とかく変化することを恐れる。たとえそれが進化であるとわかっていても、である。
中でもコンサバ中のコンサバの教育業界で、変化を受け入れることは相当のパワーが必要になる。例えば、2024年の入学試験から、「筆記テストがなくなる」と仮定しよう。大学の教職員にどれだけの年次ルーティーンの変化が求められるだろう。彼らにしてみれば、想像を絶する変化になるはずだ。
今まで何百人の官僚、何千人の政治家、何万人の会社経営者、何百万人の若者が海外へ留学してきたことだろう。少なからず、日本の教育の問題点は見えているはずだし、いろいろな場所で論じられてもいる。それでも我が国最高レベルの教育機関の根幹が変化も進化もしないのは、「変化を嫌う」という国民性が大きく関与しているのはないだろうか。