アメリカの大学合格者選考は「書類審査」のみ?
アメリカに日本の「入試」にあたるものは、存在しない。日本の社会でよく言われる、「アメリカの大学は、入りやすいが、卒業するのが大変である」は、この事実を元に語り継がれているのかもしれない。では、どのように選考しているのだろう? 簡潔に説明すると、アプリケーション(application)と呼ばれる書類、日本では「出願票」とでも言うのだろうか、これをひたすら読み込むのである。つまり書類審査のみである。
スタンフォードのケースでは、「5~6万人のアプリケーションから1600人を選び抜く」という途方もない審査作業が発生するのである。今でこそパソコンの画面上で行うのかもしれないが、出願者一人一人の成績や、学校での役割や評価、地域での活動等、幾つかに絞られたポイントをもとに、ひたすら読み込んで評価をしていくという作業になる。
「入試課」の実績はどう評価されるか
地方自治の集合体のアメリカでは、地域性も考慮しなければいけない。カリフォルニア州とミズーリ州の評定平均は同じテーブルでは評価できないし、たとえば埼玉県の公立高校からの出願と、ナイロビの私立の高校からの出願では、両者の成績にどのような係数をかけて、ひいて、足して、共通評価のテーブルに載せるのかは、世界中からの受験者を評価していくうえで重要なポイントとなるであろう。そして、アドミッションズオフィス(入試課)は入学の合否審査のためだけに存在する、と言っても過言ではない。
日本のように「ほとんどの学校の入学と卒業が同時期」ではないアメリカでは、アドミッションズオフィスは通年で入試の合否の判断を下している。もちろんピークの時期は存在するが、書類を読み込むことのみで合否を判断するこの部署へのプレッシャーは、想像さえ憚られる重さだ。
言い方を変えれば、狭き門であるスタンフォード大学を支えているのがこの部署、この人達であると言っても過言ではない。
余談になるが、彼らはどのように評価されるのか。幾つかの基準があるようだが、その多くを占めるのが「卒業率」である。すなわち、「彼らが選んだ学生がどれだけ優秀だったか」である。それにも関わってくる大学ランキングも一つの指標であろう。また「寄付金」というおもしろい視点もあるようだ。平たく言えば卒業生が学校に対して彼らの経験をいかに還元・換金してくるかということだ。5~10年もしくはそれ以上の長いスパンの話なのだろうが、日本には存在しない興味深い評価基準である。