当初とは逆転した関係性に
何度かある裁判で一際印象深いのは、「あなたより知能が進む娘をどう育てるのか?」と厳しく問い詰める検察官に対し、サムが映画『クレイマー、クレイマー』の裁判場面でのダスティン・ホフマンの台詞をもって答える場面である。
まさに養育権をめぐって争われるその裁判で、ダスティン・ホフマン演じるテッドが、シングルファーザーとしての実感を込めて息子への愛を語る言葉は、そのままルーシーへのサムの態度を表すものだ。
これを引用した予想外のサムの語りに、最初は「何を言い出したのか」と訝しげな顔をしていたリタだが、思わず同じ“親”の立場で彼の言葉を受け止める。その感慨深い表情がいい。
裁判で何を喋るか「作戦会議」で教え込んだどんな台詞より、『クレイマー、クレイマー』の引用は、自分が忘れていた基本的な親の姿勢を端的に伝えるものとして、リタの胸を打ったのだ。
その裁判の後、リタはルーシーが里親に引き取られたことを知り塞ぎ込むサムのアパートに押しかける。「自分は立派な人間になれない」と泣きながら吐露するリタと、それを優しく受け止めるサムの関係は、当初とは逆転している。
この社会では、自己を成長させ持てる能力を最大限に伸ばすことが、常に奨励されてきた。しかし自分の中の「限界」を意識するからこそ、人は強く、同時に優しくあることができるのではないだろうか。そのことを、この映画はこの上なく明快なかたちで示している。
連載:シネマの男〜父なき時代のファーザーシップ
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