良い意味で変わらない「強い父」
多くのドラマでは、何らかの外圧が主人公の内面や言動に強い影響を及ぼし、さまざまな迷いや衝突や葛藤を経て、最終段階で主人公は、ドラマが始まった当初から見ると内的な変貌を遂げている‥‥という構成が採用されている。主人公がいかに変容していくかが、物語の要と言えよう。
しかしこのドラマのサムは、何が起こっても良い意味で変わらない。イレギュラーな出来事にうまく対応できず、時に感情的になってしまうことはあるが、娘ルーシーへの態度は最初から最後までほぼ終始一貫しており、その意味ではなかなか「強い父」と言える。
「強い父」でありながら、サムはいわゆる男性ジェンダーを内面化していない。知的障害者を演じたショーン・ペンの卓越した演技力は話題になったが、彼はおそらく「男らしさ」と言われるものを極力消し、むしろ女性的な身振りや表情を取り入れるように意識したのではないだろうか。
体型もややふっくらとさせてソフトな外見にしており、それが「父が母親役もやっている」のではなく、男性だが最初から母親でもあるような独特の雰囲気を醸し出している。
また、変わらないサムと、成長していくルーシーの関係性も興味深い。
まだ字の読めない幼少期の子どもは、親に同じ絵本を繰り返し読んでもらいたがるが、年を経るに従って自分で本を読み、高度な質問を親に投げかけたりする。ルーシーもその通りの成長過程を歩んでいくのだが、ある時点でサムが他のパパと違うことに気づく。学芸会で、子どもたち以上にはしゃいで悪目立ちする父への”他者のまなざし”にも気づく。
それまで意識しなかった他者の目を通して親を見ること。それは子どもの成長の証の一つだが、サムが「普通」とは違っていたためにルーシーは他人より幼くしてそれを感受し、そのことで彼女は他の子どもよりも早く大人のような賢さを身につけていく。一見無邪気そのものに見えるルーシーが、サムへの学友の心無い言葉に内心傷つく場面は痛ましい。
本を一緒に読んでいて、サムが読めなかった言葉をルーシー自身も読めないふりをするのは、早くも親を追い越してしまった彼女が、それがあからさまになることでこれまでの親子関係が壊れるのを恐れるためだ。子どもはいつか親を追い越すものだけれども、まだ保護され甘えたい時期の子どもにとって、自分の知能が親より優っているのを示すことには大きな躊躇いがあるだろう。
しかし、父親を傷つけたくないというルーシーの気持ちを汲み取った上で、「パパは読んでほしい」と、自分を凌ぎ始めた娘の背中を押すサムの言葉は、己の知能の限界を知っているからこそのものだ。サムに促され、安心したようにスラスラと本を朗読し始めるルーシーの声には、親に成長を寿がれている喜びと自信と開放感がある。
このドラマの要は、7歳で知的発育が止まっているという、ある「限界」をもった男の姿を通して、子どもに追いつかれいつかは追い越されていくという、親の普遍的な位相を浮かび上がらせたところにあるだろう。