作家と医師の共通性
日露戦争の現地から妻・志げへの手紙(出典:別冊太陽 森鷗外 近代文学の傑人生誕150年記念)鷗外が砲弾飛び交う日露戦争の第二軍軍医部長として臨時報告を出すかたわら、東京の妻・志げに手紙を頻繁に送ったことは、シリーズ第2回:森鷗外の女性遍歴と「美貌の後妻」に元新聞記者の精神科医が考えることで触れた。
同時に鷗外の著したのが、詩歌集『うた日記』。詩、短歌、俳句など400以上を作り上げた。
中でも知られている歌が「扣鈕(ボタン)」。全文を掲載する。(/は行替え)
南山の たたかひの日に/ 袖口の こがねのぼたん/ ひとつおとしつ/ その扣鈕惜し
べるりんの 都大路の/ ぱつさあじゆ 電燈あをき/ 店にて買ひぬ/ はたとせまへに
えぽれっと かがやしき友/ こがね髪 ゆらぎし少女/ はや老いにけん/ 死にもやしけん
はたとせの 身のうきしづみ/ よろこびも かなしびも知る/ 袖のぼたんよ/かたはとなりぬ
ますらをの 玉と砕けし/ ももちたり それも惜しけど/ こも惜し扣鈕/ 身に添ふ扣鈕
註 ぼたん:カフスボタン、ぱつさあじゆ:(仏)アーケード商店街、はたとせ:二十年、
えぽれつと:(仏)肩章、ますらを:益荒男、強い男子、ももちたり:百千たり。数多くの兵士
将来を添い遂げようと一度は心に決めた相手エリーゼ。戦地の遼東半島から7700km離れたベルリンにいるはずの彼女に想いを馳せながら作ったのだろう。
日露戦争の現地で作った詩歌、俳句をまとめた『うた日記』(出典:別冊太陽 森鷗外、同上)
大石氏は論考の最後でこうまとめる。
「文事と軍事とはどうやら後世の我々の思うほど無縁のものではないらしい。ギリシャ神話によれば、美神アフロディテと軍神アレースの二柱は夫婦神とされている」
そして、文人・鷗外と軍人・森林太郎の関係を正しく理解するためには「一陸軍衛生部職員森林太郎の最も通俗的な姿が鷗外漁史だった、ということ」と結ぶ。
作家と軍医という一見関係のない職業を対立項として見ずに、共通の土俵で扱うことの大切さを、大石氏の論考は示している。それは鷗外だから成し遂げられたので、われわれ凡人には及ぶべくもないと考えるのは早計だ。
人それぞれ、昔は個人の日記に、今ではSNSのブログに各々の思いを書き綴る。その中には原石に交じるダイヤのような掘り出し物も見つかる。それはダブルワークで活躍する人たちのニュースを見てもわかる。
鷗外を頂点とした「二生を生きる」者たちのピラミッドのすそ野は、思ったより広大だと感じる。
さあ、ここでわが身を振り返ると、どうだろう?
かつて、記者と医者の違いはローマ字でいえばKがあるか無いかの違いに過ぎない、とある文章に書いた。両者とも相手(取材先と患者)の話を心から聴くという点は共通する。そのうえで「K」とは「皆にその心が届くように書くこと」と心得たつもりだが、日暮れて道遠し、であろうか。