過食の内容は圧倒的に甘いもの系、つまり炭水化物だ。白飯を炊飯器ごと食べるツワモノも珍しくない。そうすると、明治時代の脚気患者と同じVB1不足に陥ることになる。
摂食障害でなくても、貧困から抜け出せず、肉、魚などたんぱく質摂取の乏しい者や、代謝でVB1を消費するアルコールの依存症者は脚気予備軍として注意する必要がある。
急性のVB1不足からくる疾患にウェルニッケ脳症がある。記憶力が著しく低下し、若年性認知症とぱっと見は区別がつかない。以前、勤めていた病院で摂食障害の20代女性が意識障害を起こしたため、この患者の頭部CTを撮影したら、80代と同じくらい脳が萎縮していた。
治療はVB1補給。鷗外の時代と違って、われわれには脚気の発生機序が分かっているので対処することはできる。
しかし、時は百年以上前の明治。この国民病に対する方針はわが国の軍隊内で二分していた。理論的なドイツ医学を範とした陸軍に対し、海軍は経験医学を重んじるイギリスにならった。
脚気の原因について、陸軍は東大教授のドイツ人医師ベルツの意見も聞き、感染症説が主流だった。なにより、本場ドイツで細菌学の大家コッホが感染症説を採用していた。
一方、洋食のヨーロッパには脚気自体が存在しないことなどを理由に、栄養障害説を唱えた海軍軍医高木兼寛は白米の代わりにパンを、のちに麦を米に混ぜて海軍の脚気を激減させた。
陸軍軍医本部長だった鷗外が上官の命を受けて白米に固執し、結果として日清・日露戦争従軍者の多数が脚気で死亡したことは有名な史実だ。むろん、鷗外だけの責任ではない。「坂の上の雲」を目指していたわが国の軍事体制の流れの中で、鷗外がその役割を果たしたに過ぎない。とはいえ、鷗外のせいで万単位の軍人の命が失われたと批判する識者もいる。
「ドーダの人」と揶揄された鷗外を再分析
面白い題名の本がある。『ドーダの人、森鷗外 踊る明治文学史』(鹿島茂著、朝日新聞出版)。鹿島氏は著名なフランス文学者で、日本の文筆家を批評した文章が多く、小林秀雄も「ドーダの人」として取り上げている。「どうだ、俺はすごいだろう」という自己愛に満ちた著名人を俎上(そじょう)に載せ、分析する試みをそう名付けた。
「ドーダの人、森鷗外 踊る明治文学史」鹿島茂著
同書で鹿島氏は、鷗外は手本を外国の思想や流行に求める究極の「外ドーダ」であり、見方によっては「ノモンハン(*)における辻正信、インパール作戦における牟田口廉也にひけを取らない将兵の大量死の原因」と指摘する。
*ノモンハンは満州事変の後、日本の傀儡(かいらい)政権である満州国とモンゴルの国境を巡り勃発した紛争であり、辻はその作戦参謀だった。インパール作戦は太平洋戦争末期のビルマ(現ミャンマー)で展開されて多数の死者を出し、無謀な作戦の代名詞となった。牟田口中将はその責任者だった。
ちなみに私の祖父は同作戦のあと応召され、ビルマで戦死している。