虚構か現実か 「エミリー、パリへ行く」が優れたフィクションである理由

『エミリー、パリへ行く』主演のリリー・コリンズ(中央、Getty Images)

ネットフリックスのドラマ『エミリー、パリへ行く』は、ラグジュアリーブランドを扱うパリのマーケティング会社が舞台になっているだけあって、フィクションとはいえ、“あるある”要素、少なくとも実在のモデルを連想させる要素がちりばめられているのが面白さの一つです。

シーズン3では、なんとLVMHを連想させる企業を登場させています。4つのアルファベットで省略されるフランス一のファッション企業JUMAは、パリ装飾芸術美術館で回顧展が開かれるような有名ブランドを買収します。

パリ装飾芸術美術館での回顧展といえば、現実世界では2017年から18年にかけて、クリスチャン・ディオール展がおこなわれています(まさに今、巡回展が東京都現代美術館で開催中)。

 
「クリスチャン・ディオール 夢のクチュリエ」展 5月28日まで東京都現代美術館で開催中(撮影=中野香織)

実はこの大企業JUMAが欲しかったのはブランド名だけ。老いて気難しい創業デザイナーを解雇し、彼とは相性が悪く、方向性も異なるデザイナーを後継に据えようとするのです。創業者の意向やブランドのスピリットなど完全に無視してこの決定を断行するのが、親会社のトップの息子であるというのも、LVMH帝国をファミリービジネスとして盤石にしつつあるアルノー家を連想させます。

この難度の高いブランド継承の手続きを滑らかに行うという仕事をJUMAから与えられたのが、ヒロインのエミリーが働くマーケティング会社。ボスのシルヴィーはエゴイストにも見えましたが、葛藤を経て最終的に守ったのは、自社利益ではなく創業者デザイナーの尊厳でした。フランス一のファッション企業の裏をかいて彼らを敵に回すという大きな犠牲を払った決断が、意外で痛快でした。

いわば、「旧型」ラグジュアリー業界で利益を生むために正当化されてきた、巨大資本による紳士的買収を装った冷酷なブランド売買と営利至上主義ビジネスに対する批判が、このエピソードにこめられていたのです。虚構の体裁をとるとはいえ(あるいは虚構の体裁だからこそ)、デザイナーの人間的尊厳よりも利益を最優先するというやり方は倫理的といえるのかという、「新しいラグジュアリー」に関わる問いを突き付けているように見えました。

衣装デザインを務めたマリリン・フィトゥーシによる大胆なファッションや、隙あらば誘惑しあうフランス的人間関係といった表層のオブラートに包まれて面白おかしい印象になっていましたが、フランスのコングロマリットのやり方を暗に批判するようなこのエピソードに、製作者の隠れた意図を感じました。
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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