北尾さんは、21年間「野村證券」に勤務。将来の社長候補として、世界を舞台に活躍していました。ところが、1995年に「ソフトバンク」の常務取締役に転じ、同社が世界的企業に急成長していくのを支える1人となります。
最初からエリート教育を受けていた
金融業界を就職先として選んだ理由について、マーケットがとても大きいこと、資本主義の歴史のなかで新産業をつくるうえでリーダーシップを発揮してきたことを、北尾さんは挙げていました。
「実は、証券会社ではなく銀行に行こうと思っていたんです。ところが、当時の野村證券の人にたいへんな熱意で誘われた。情にほだされたというか、意気に感じたというか、土壇場になって、野村證券に決めました」
野村證券では、異例のキャリアを歩むことになります。通常、新入社員は営業から始まりますが、北尾さんは違いました。
最初から総合企画室に配属になり、イギリスのケンブリッジ大学に留学。その後、ニューヨーク拠点に配属となり、さらにはアメリカのM&A企業「ワッサースタイン・ペレラ」の役員なども務めることになります。つまりエリート教育を受けたのです。
「どうしてかはわかりません。父の影響もあって、中国古典の世界が精神的なバックボーンとしてありました。それがひとつの人間的な強さになって表れていたのかもしれませんね。顔つきといい、物言いや風格といい、なんとなく他の人とは違うものが、あったのかもしれません」
大学時代はよく勉強し、たくさん本も読んでいたそうです。だから、面接で「投機の経済的意義を述べよ」などと聞かれても明快に答えることができた。最終の副社長面接では、どんな仕事がしたいかと聞かれて、こう答えたといいます。
「どんな仕事でも結構です。社命に従います。ただ、どこに行っても、世界経済の中の日本経済、日本経済の中の金融機関、金融機関の中の野村證券という3つの位置づけを常に考えながら働きたいと思います」
これが副社長の琴線に触れ、「あいつはオレが直接指導する」となったそうです。
「絶対に負けるはずないと思っていた」
ニューヨーク勤務の時代には、当時の社長から「次の次の社長はお前だ」と言われていました。
「人からそういうふうに見られると、本来の自分以上に頑張らないと感じるものです。それでいっそう勉強し、努力しました。ビジネスの目標を立てるにしても、期待されている数字は、20%や30%の伸びではないと感じていました。だから、普通の何倍もの数字を目標として掲げました」
その目標は周囲から驚かれます。しかし、北尾さんは次々に達成していくのです。
「知恵と工夫と努力しかありません。戦略と戦術を必死で考え、部下を引っ張る。ニューヨーク時代、1日で800億円の商いをしたことがあります。野村證券という大組織を世界に冠たるインベストメントバンクにする。それが僕の目指していたものでした」