しかし、我々の心の中の「我欲」や「エゴ」は、それほど簡単に、捨てられるものではない。
それは、どれほど「捨て去った」と思っても、ただ抑圧し、心の表面に出ないようにしているだけであり、それゆえ、その「我欲」や「小さなエゴ」は、いずれ、心の奥深くで、密やかに動き出す。
例えば、同僚が先に昇進したとき、表面意識では、「自分は、同僚の昇進を妬むこととなどない」と思うが、数か月後、その同僚が病気で休職になったとき、心の奥に、それを密かに喜ぶ自分が現れる。それが、「小さなエゴ」の厄介な姿である。
いや、それだけではない。この「我欲」や「小さなエゴ」は、しばしば、極めて巧妙な形で、我々の心を支配する。
例えば、「我欲を捨てよ」という言葉を読むと、我々は、自分も、そうした「我欲」に振り回されない人間になりたいと考える。しかし、自分の心の中で、「我欲を捨てなければ」と考えているうちは良いが、内省力の乏しい人間が、この言葉を周りに対して語り始めると、危うい状態が始まる。
なぜなら、周りに対して、「我欲を捨てるべし」と語り始めると、いつのまにか、心の中に「私は、我欲を捨てた人間だ」との自己幻想が生まれてくるからである。そして、この自己幻想の背後には、必ず、「小さなエゴ」が忍び寄っている。
すなわち、周りに対して「我欲を捨てるべし」と語ることによって、周りから「あの人は、我欲を捨てた人間だ」と思われたい、自分を立派な人間だと思われたいという「小さなエゴ」が、密やかに忍び込んでくるのである。そして、多くの場合、「我欲を捨てよ」と語っている人間自身は、自分の心の中で蠢く、その「小さなエゴ」に気がついていない。
我々の心の中の「小さなエゴ」は、ときに、「小さなエゴを捨てた高潔な人間の姿」を演じ、満足を得ようとすることさえある。
では、どうすれば良いのか。「我欲」や「小さなエゴ」というものが、捨てようとしても、一時、心の奥深くに隠れるだけであり、しばしば、巧妙な擬態を示し、我々を自己幻想に陥らせる厄介なものであるならば、どうすればよいのか。