長崎空港からバスと島原線を乗り継いで2時間、または阿蘇くまもと空港から熊本港まで1時間、さらにフェリーで30分と、なかなかなデスティネーションではあるが、カウンター6席の予約を取るのは至難の業という人気店だ。
地元が求めるものと自分がつくりたいもの
井上氏が料理人を目指したのは、魚屋を営む父親が競(せ)ってきた魚を料理したいと思ったことがきっかけだという。調理師専門学校を卒業後、寿司屋に就職したが、一カ月で辞め、放浪生活が始まった。見かねた父親が魚屋の隣に居酒屋を開き、父が刺身を引き、井上氏はイタリア料理を提供した。専門書を読み漁りながらのまったくの独学だったが、面白くてはまっていった。
ちょうど地方のイタリアン、例えば「アルケッチャーノ」、「オステリア エノテカ ダ・サスィーノ」、「イル ギオットーネ」などが注目されていた時代でもあった。
「なかでも和歌山の『ヴィラ アイーダ』と宮城の『アル フィオーレ』(現在はワイナリーとなり、『ファットリア アルフィオーレ』の名で営業)には強く影響を受けました。アイーダで自家野菜をメインに勝負しているのを目の当たりにし、自分は海の前なのだから、魚だけで勝負できるはず、と思いました。アル フィオーレはシャルキュトリーもすべて自家製で、まさに、そこに行かないと食べられない料理。独学で繋がりも何もない私を後押ししてくれ、なんとか独立にこぎつけられました」と井上氏は言う。
そして2014年、島原市内で地方イタリアンを目指して独立。最初はイタリアからの輸入食材などもふんだんに使っていたが、共感し合える農家や漁師と出会うにつれ、この土地らしい料理を作りたいと思いが強くなっていった。
「伝統的なイタリア料理のレシピ通りに作った料理が本当に美味しいのか、もっと生産者の個性や、土地の味が出るようなものが自分の作りたいものなのではないか、と試行錯誤しながらコースを組み立てました。ところが地元の人には受け入れられなかった。地元の人が求めているのは、地元では食べられない料理。でも私達が提供したいのは、島原でしか食べられない料理。こだわりを持てば持つほど経営は厳しくなりました」
そして藁をもつかむ思いで場所と形態を変えることを決意し、2018年に現店舗をオープンした。
行き着いたのが、魚と野菜だけのコース料理を出すことだった。日本のレストランではまだあまりない試みだが、自分たちの特色になるだろうと思うと同時に、島原らしさの追求の結果でもあった。また、CO2の排出など、畜産業の課題や地球への配慮も考え、ほぼ肉を使わないという選択をした。