ある省庁で働く50代のノンキャリア官僚は「この半年、私の知っている20〜30代の若手官僚が5人も辞めた」と語る。このうち、「ブラックだから」という理由で辞めたのは1人だけ。残りの4人は「ここでは、自分は輝かない」と言って辞めていったという。再就職先は外資系コンサルタント会社や研究所だという。
今もかなりハードだが、かつての霞が関官僚の働きぶりは、「過労死があたり前なんじゃないか」と思うくらいハードだった。この50代官僚も「残業は午前2時、3時はあたり前でした」と語る。終電間際に「もう今日はこれで一区切りつけよう」と思って帰ろうとしても、上司の許可が必要だった。上司は必ず、「ん、もうちょっといてくれる」と答えるので、そのうち尋ねるのが面倒になって辞めたという。
今でも、「国会待機当番」はある。国会が開いている期間、答弁を準備する係のことだ。国会議員から質問を取ってくると、その答弁を作成する。関連資料も作る。そのうえで大臣秘書官に送る。役所に冷たい議員はなかなか質問を教えてくれない。大臣秘書官がOKすれば帰れるが、そうとも限らないから、大体帰るのは未明の時間帯になる。
ただ、霞が関官庁にも「ワークライフバランス」が導入され、それが上司の査定項目に入るようになった。50代官僚は「今の若手も、平日の夜に会食を入れるというのはかなり難しいですが、それでも電車で帰りますね。帰るときも別に許可を求めたりしません。残ってほしいときは、こちらから事前に頼まないといけません」と話す。
でも、若手は辞めていく。別の元官僚は「デジタル化の弊害」を挙げる。この元官僚が若手だった昭和の時代、まだパソコンもスマホもインターネットもなかった。報告書は資料を読みながら、紙とペンで書き、必要があればタイプしてそろえた。「今は便利になりました。何でもすぐに調べられます。でも、それがよくないのです」。
資料の数が膨大になり、読み込めない上司が多数出る始末だという。それでも、資料の厚さで評価する上司や国会議員もいる。官僚たちが朝、役所に来ると「この資料をつくれ」「あの資料はどうなった」という問い合わせのメールが山ほど来ている。それを処理しているうちにどんどん時間が経つという。お昼に外食に出る若手官僚は多くない。役所内のコンビニで買った弁当やおにぎりをほお張りながら、昼休みの時間もひたすら働いている。