KiNG:この1年、これから3年、さらに10年100年と、どういう未来を描きたいかで決着が決まってくるのではないでしょうか。影響力のある方が定義していくのもアート。現代アートはシェアして裾野を広げる必要がないのかもしれません。でもルールを知ったなら、インテリジェンスであり勝者にもなれる。
長谷川:僕は表現者なので、作品を作るならどうすればいいか、という立場で物事を考えています。それに対して評論家は、文脈を作る人。そして受け手として消費者がいる。この三者が存在するからアート文化が成り立っているわけで。この三者間で重要なのが、表現者と消費者がお互いにリスペクトすべきということです。一方、評論家は、悪戦苦闘しているが楽しんでもいる。そんな循環がありつつ、アートとの一体化を日々実感しています。
山崎:この場所は、オフィスの拡張であり、色々なアーティストとコラボレーションする場でもあるのですが。コンテキストを考えた時、こういった活動は、2年前だったら経済合理性としてどうなの?と言われてしまって成立しなかった。でも今、許される範疇に入ってきました。それは、コロナ禍の影響でビジネスと生活が近づいたからです。
辛そうに仕事をするのではなく、楽しく仕事をすればOKという風潮が、アートへの扉を押したように感じます。それに加えて、いまのスナップショットでは、アートの持つ身体性や感覚をビジネスに引きつけて語っても非論理とかスピリチュアルとかいってバサッときられない時代のタイミングなんだと感じます。
写真:YURIHORIE
アートは、発明だ!
谷本:身体性を持つことがアートを考えるうえで大切な要素だと長谷川さんのお話からも伺えましたが、それでは、西洋的なアートの文脈でなく、東洋的、ひいては日本人のDNAにスポッと文脈として捉えられるアートについて、御三方のご意見を伺ってみたいと思います。
KiNG:日本人の場合、例えば浮世絵の雨の作品を例に考えてみましょう。水のレイヤーが多く、それに対する言語が発達しているんですよね。ですので、水を背景にした邦画も作られていたり。水のグラデーションを楽しむ国民性を感じています。
そういう意味では、長谷川君の作品も東洋的。心に響く仕上がりで、私は大好きです。2022年現在、売れているし、評価されていて、勢いを感じているんですよ。言語化するのが大切で、今日のこのエキシビジョンを開催したことで、多くの方にアートの場と作品を知っていただけてよかったな、と思っています。
長谷川:今日飾っていただいた僕の作品は、ここ2年くらい研究している制作技法で、アクリル板の裏と表に色を載せて完成させました。僕は、元々デザイン科出身なので、AdobeのIllustratorやPhotoshopなどを使うことが多かったのですが、これらのアプリは概念の発明がすごく多いのです。この作品は、多層を作り、最後は、上から撮影してひとつの作品にする技法の発想をして作りました。このルートは、僕的に浮世絵とか日本画に通じるsomethingを感じています。
長谷川彰宏氏作品 写真:YURIHORIE
KiNG:補足させて下さい。アーティストって、理論でなく直感。ノーベル賞の研究者も20代に答えが出ていて、そこから20年かかって40代でノーベル賞を受賞する、みたいな。長谷川君は、25歳で、この作品の技法が既に確立されています。なので、これからさらに言語化していくことが楽しみです。
写真:YURIHORIE