「買う対象」と「主体的アート」とのボーダーライン
谷本:Forbes JAPANの読者層は、ご成功された経営者が多く「アートは買う対象」として見ている方も少なくないのでは。ところが今日の皆さんのお話では、「主体的なアート」について語っていらしたのが印象的でした。美大に行っていない普通の人は、中学や高校での美術の授業でしか触れてこなかった。そこから「どうやってアートを自分の方に引き寄せていくか」についてビジネスマン視点の山崎さんと、アートのプロの長谷川さん・KiNGさんのご意見を知りたいです。
山崎:実は、自分自身、小学校4年生までは絵が好きでよく描いていました。展示会で入選した時に「これは親に手伝ってもらったんだろう?」と先生に言われたことがトラウマになり、アートの世界に少し足を踏み入れていたものの、去る決断をした経緯があるのです。
大人になって、これからどういった視点を持って仕事を広げていかなくてはいけないかを考える時期がありました。そこでアートの世界の人達との出会いをきっかけとして、アートの文脈を自分のビジネスに取り込むと視野が広がるということに気がつきました。「アートは遠いものではなく、自分に近いところにある」のを皆に知ってもらいたいと考えました。
写真:YURIHORIE
長谷川:客観と主観の2つの捉え方が出てきましたが、この2つは、時間軸が必ずしも同じである必要はないわけです。僕の場合、昔見た絵でスルーしていた作品と10年後に再び遭遇した瞬間、衝撃を受けたりすることがあります。美術館に行ったり美術書を読んだりという行為だけがアートに触れ合うことではないとも考えています。
例えば、僕の中では、手塚治虫や宮崎駿やラフマニアは、めっちゃアートなんです。「自分の中で主観化できたものをアートの定義にしてもいいんじゃないかな?」そんなふわっとした感覚的なものだと思います。
KiNG:日本人は、欧米型のアートを見た時に、急に客観だったり主観だったりと考え始める行為そのものに対して戸惑っているのではないかな?と思います。日本語を母国語にしているように、我々独自の向き合い方でアートと付き合っていったらいい。諸行無常ではないですが、非言語化的でありつつも、皆でまるっといいよね!と共有しながらアートを引き寄せていく。
これからの100年で、現代アートは全く変わってしまう可能性もあると考えています。例えば、横尾忠則さんの作品。50年前に語られていたことと現在とでは、そもそもの感覚が違う。モノクロTVの時代に、破天荒ともいえるあのカラフルな色使いの作品の評価が現在とは違って当然なのですが。
写真:YURIHORIE
長谷川:アートが欧米の言語体系とするならば、藝大に入った時にまわりの友人から「アートって何?」とよく聞かれることがあって。僕は「分からない」と言い続けているのですが(笑)。結局、その問題設定自体を考え直すべきだと。例えば、漫画って定義を知らなくてもすんなり入っていける。音楽然り。実は、「ドラえもん」は、めっちゃ様式美があると自分自身では思っています。
パンデミックで、ビジネスと生活が近づきアートが身近に
谷本:その考え方、とても同意できます。ビジネスとアートとの関わり方のお話をすると、SDGsって急にヨーロッパから出てきたのですが、考えてみたら日本では、100年以上前から渋沢栄一が合本主義を唱えていたわけで。それと同じように、アートという言葉になっているから訳が分からないけれど、実は生活や思考の中に入っているように思います。
では、今日のこのトークショーをForbes JAPANの記事にする場合、どのようなコンテキストで作るかを、御三方に伺いたいです。