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2023.01.02 18:00

東急グループ創始者の五島慶太さん|私が尊敬するカリスマ経営者


事業家・五島が誕生するきっかけは鉄道だった。大正2年、帝大卒業後に入省した農商務省から、鉄道事業のすべてを掌握する鉄道院に移る。ここで足かけ7年、当時、交通手段として注目され始めた鉄道のエキスパートとなる。

そんな遅咲きの官僚に目をつけたのは、関西で鉄道を軸に沿線の宅地開発、ターミナルを拠点としたデパート事業など、今日まで通用するビジネスモデルをつくり上げていた阪急グループの創始者、小林一三だった。東京・田園調布を理想の田園都市にしようとしていた実業家の渋沢栄一に請われ、同事業のアドバイザーとなっていた小林は、自分の身代わりとして五島を推薦する。

五島は官僚を辞し、渋谷から横浜までの鉄道事業を目指していた武蔵電気鉄道(後の東京横浜電鉄、現在の東横線の母体)の常務となる一方、目黒蒲田電鉄(東急の前身)の専務にも就任する。

「自分の電鉄マンとしての本拠地は渋谷であるため、すべての目標を“渋谷の発展”においた。一見、“強盗慶太”的な行動にでたこともあるが、常に太陽を背景に戦った」(五島)。

路線の拡張を急ぐ五島に、世界的な金融恐慌が襲う。資金繰りに駆けずり回る五島は死を覚悟するほど追い込まれ、一時は「松の枝がみな首つり用に見えて仕方がなかった」。

窮地に陥った五島を救ったのは、阪急の小林一三の経験だった。

“ガラ空き電車を御利用下さい”

乗客が少ないことを逆手にとって快適さをアピールした、東横線の売り文句だ。「ガラ空き」という言葉は、小林が阪急神戸線開業時に考案した名コピーから拝借した。

経済回復の見込みが立ち始めると、五島は矢継ぎ早に買収劇を仕掛ける。手始めに池上電気鉄道(現・東急池上線)を、次いで玉川電気鉄道(現・東急玉川線)を買収。当時の鉄道事業は、現在のような大資本が経営するというよりも、ベンチャー事業に近い小規模資本が細かく路線を運営していた。

買収劇の総仕上げが、地下鉄の可能性を見越した東京高速鉄道の設立だった。ここでも五島は、持ち前の粘りと説得力を発揮し、先行する東京地下鉄道(日本初の地下鉄建設会社)を実質的に手中に収める。
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文=児玉 博 イラストレーション=フィリップ・ペライッチ

この記事は 「Forbes JAPAN No.100 2022年12月号(2022/10/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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