750年続く刀匠の跡取りは、なぜハワイの寺の住職となったのか

世界3大テノール、ホセ・カレーラス(左)を師匠に持つ山村尚正住職


オペラ歌手として順調なキャリアを積むなかで、いつしかライバルに勝つこと、名を上げることに執心し、幼少の頃に得度した仏の道を忘れていた。「本来継ぐべき刀匠の道に進まず、好きなことをしているだけでも幸せなのに、自分のことばかり考えるとは何ごとか。これではご先祖さまにも申し訳ない。もっと人に尽くすことが私の使命なのではないか」と、そんな思いが頭を駆け巡ったそうだ。皮肉にも、オペラ歌手の聖地であるミラノで、再び仏門に目覚めてしまったのである。

何しろ、一度考えると止まらぬ性格。サンタ・チェチーリア国立音楽院を修了し、帰国してすぐに日蓮宗の総本山身延山久遠寺に修行に入った。この修行を経て、日蓮宗教師となり住職の資格を得た。さて、お待たせしすぎたかもしれない。この住職資格が、ハワイへとつながる切符になるのである。

アリヨシ元ハワイ州知事も絶賛


31歳の夏、日蓮宗の英語研修制度でハワイ日蓮宗別院に着任。翌年、前任の住職が退任したのと同時に、国際布教師としてホノルル妙法寺の住職に就任してしまう。ここに「オペラ歌手の住職」がハワイで誕生したのである。

しかし現状を見れば、ホノルルで古くから続くお寺は経営難。檀家の高齢化と信者の減少という根本的な問題を抱え、お寺も老朽化し、管理の問題も浮上。何から何まで変える必要があった。

しばらくはお寺の再建に邁進。法要を英語で行うようにしたり、お寺主催のイベントやワークショップを増やすことでスペースを有効活用したり、さまざまな改革を行った。当然、オペラ歌手として歌う時間などなかった。「寺の住職なのに外に出て歌うということに心の中で抵抗も感じていました」と本人は言う。

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ホノルルのダウンタウンにほど近い「日蓮宗ホノルル妙法寺」

お寺の運営も順調に進み、ホノルル妙法寺の若い住職の名は徐々に知られるようになり、ハワイでイベントや式典に招かれることも多くなった。

ある日、日系人初のハワイ州知事を務めたジョージ・アリヨシ氏の夫人のための式典で、「ここに幸あり」を歌い、初めてハワイの人々の前でテノールの歌声を披露した。

すると、それを聴いた人たちからは大絶賛。アリヨシ氏からも「これはベスト・エンターテインメントだ」と賞賛され、その後ハワイ州上院におけるアリヨシ氏のアロハ勲章授賞式でも「マイウェイ」を歌うことになった。

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在ホノルル日本国総領事館の天皇誕生日式典でも歌声を披露。後ろには、デービッド・イゲ州知事、ジョージ・アリヨシ元州知事の姿も見える

ここで山村住職は気づいた。日蓮宗の宗祖・日蓮聖人の教えは「民衆を救い、世を平和にする」こと。自分が歌うことで多くの人が喜んでくださり、一瞬でも癒すことができるなら、それは日蓮宗僧侶の務めとして正しいでのはないか。歌うことで仏縁が広まれば、お寺としても嬉しいことだと。

ここで、山村住職の中で長く混在していた「オペラと仏教」という二律背反が崩れ、歌と宗教が見事に一心同体になったのである。

山村住職は自らの波乱に富んだこれまでの軌跡を振り返って次のように語る。
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文・写真=岩瀬英介

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