爆弾の1つはひび割れた地面に一部が埋もれていた。もう1つは、溶岩洞の壁から突き出た状態で発見された。溶岩洞とは溶岩流の固化した表面の下を移動する溶岩によって作られた自然の暗渠だ。
1935年11月、ハワイ島を形成する5つの火山の1つであるマウナロアが噴火し、溶岩の川は当時1万5000人が住んでいたヒロ地区に向かって流れていった。
火山学者でハワイ観測所を創設したトーマス・ジャガーは、溶岩を止めるために斬新な計画を提案した。マウナロア火山に爆弾を投下する。正確にいうと、溶岩が流れていた溶岩溝の壁を爆撃するという計画だった。溝に新たな開口部を作ることで、溶岩の流れをヒロ地区からそらそうとしたのだ。
12月27日、当時オアフ島に駐屯していた米陸軍航空隊は、マウナロア火山に爆撃機10機を送り込んだ。20発の600ポンド爆弾(TNT火薬300ポンド[約136キログラム]を含む)が同火山に投下された。5発が溶岩流の上に落下した。残りは外れて目標から数百フィート(100メートル程度)の位置に落下した。
標的に命中させるという問題以外に、当時爆撃機の1つに乗っていた地質学者のハロルド・スターンズは、固化した溶岩からなる巨大な壁を効果的に破壊するには使用した爆弾が非力すぎることも指摘した。
ジャガー自身、マウナケア基地から望遠鏡で爆撃を目撃した。溶岩に命中した僅かな爆弾の効果はあまり納得の行くものではなかった。爆発によって作られたクレーターはすぐに溶岩で埋められ、溶岩は進行を続けた。
しかしジャガーは、たとえ爆撃で流れを止めることができなくても、爆発によって進行を遅らせることができるかもしれないと主張した。当時ジャガーの上司だった地質学者のE・G・ウィンゲートは、「溶岩溝をダイナマイトで攻撃」し、作戦をより正確かつ効果的にすることを提案した。それは実行されなかった。頂上の噴火が弱まるにつれ、最初の爆撃から6日後に溶岩流が停止したためだ。
この最初の不満足な結果にも関わらず、マウナロアを爆撃する2度目の試みが1942年に実行された。このときは溶岩流を供給する火道が標的だったが、やはり命中したのはごくわずかだった。爆撃から3日後、火道は自然現象によって部分的に崩壊しその結果主要な溶岩流は止まった。
1935年12月27日午前にマウナロア火山で爆発する600ポンド爆弾(ARMY AIR CORPS)
1975年と1976年、米国空軍は爆弾の効果をテストするために、古い堆積溶岩に2000ポンド(約900キログラム)の爆弾を複数投下した。爆弾は直径最大30メートルのクレーターを形成した。現在空軍で通常使用されている最大のシステムは大型貫通爆弾(MOP)と呼ばれる地下バンカー(掩蔽壕)を破壊するために作られた3万ポンド(1.4トン)の爆弾だ。比較的小規模な核爆発装置、たとえば広島を破壊した原子爆弾(TNT換算約3億ポンド、1万5千トン)なら直径200メートルほどのクレーターを作る。しかし、その規模の爆弾が火山に対して使用されたことはない。
爆発能力が高まっても、火山を爆撃することで噴火の勢いに有意な効果が得られることは期待できない、と多くの地質学者は考えている。仮に溶岩溝の壁に命中させ破壊できたとしても、溶岩の取る経路は依然として不確かだ。
本当の問題は、満杯のマグマだまりが地面から溶岩を押し出し続けていることだ。核爆弾の直撃でさえ、地中にあるこの溶けた岩石の貯蔵庫に到達して何か妨害できるほど強力ではない。
(forbes.com 原文)