アカデミー賞受賞作「わが谷は緑なりき」丨「強い父」を中心とした幸福な大家族が、崩れるとき

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「昔ながらの古風な父」というものが郷愁の対象になってずいぶん経つ。今では「家父長制」という言葉で否定されるべき存在となった父親像は、往年の映画ではどのように描かれてきただろうか。

今回取り上げるのは、数々のアカデミー賞に輝いたジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』(1941)。19世紀末のイギリス・ウェールズ地方の谷あいにある炭鉱の村を舞台に、ひとつの家族の運命を、美しい陰影と完璧な構図の中に描き出した名作中の名作である。

50年を過ごし、すっかり寂れたその谷を1人で出ていくことになる一家の末っ子が、過去を回想するところから物語は始まる。

伝統的な家族・モーガン家


モーガン家は両親と一女六男の大家族。まだ子どもの末っ子ヒュー(ロディ・マクドウォール)を除く五人の兄たちは、ベテラン炭坑夫として人々から一目置かれている父ギルム(ドナルド・クリスプ)と炭鉱で働いている。

夕方、大勢の炭鉱労働者と共に歌を歌いながら帰ってくる煤だらけのモーガン家の男たち。家の戸口で母のベス(サラ・オールグッド)が広げているエプロンの中に、それぞれが今日の日給を入れると、庭で風呂に入って煤を落とし、全員で大きな食卓を囲む。忙しい母を手伝うのは長女のアンハード(モーリン・オハラ)。食事が終わると父から息子たちに小遣いが渡される。

やがて隣の町から、美しい女性ブロンが長兄イヴォールの元に嫁ぐことになり、村中の人々が集まって盛大なパーティが開かれる。ブロンに一目惚れしてしまったヒューの幼い恋、新任のグリュフィド牧師と長女アンハードの運命的な出会いも描かれる。

一連の流れから伝わってくるのは、タフで頼もしい父を中心とした伝統的な家族の姿だ。父が発する短く無骨な言葉は、有無を言わせぬ重みをもって家族の規範となっている。一方、家事を取り仕切るしっかり者の母が、そんな夫の”家父長感”を和らげる役割を果たしているのも興味深い。

のんびりと盤に浸かっている夫の頭に「早くしろ」とばかりに桶の湯をザンブと浴びせたり、後にストライキ問題で孤立した夫のために女性禁止の集会に出かけ、凄まじいアジ演説で人々を凍り付かせたりする場面は、肝っ玉母さんそのものだ。彼女の勇敢さと情熱は、長女アンハードに受け継がれている。
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文=大野佐紀子

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