ライフスタイル

2022.12.11 10:00

「何になりたい」から「どうありたいか」へ。個性を主体的に生きる社会を

この寄稿が掲載されるForbes JAPANの特集タイトルは「Difference is a Strength!」。個性を前向きにとらえ、社会の多様性を広げる動きは喜ばしい。しかし、私たちはその過程で一部の人々を「多様性のアイコン」として祭り上げ、理想を押しつけていないだろうか。

筆者は近頃、世界各地に暮らす同年代(1980年代生まれ)の友人たちとオンラインで雑談する機会があった。その際に印象的だったのは、筆者がふと口にした「ただの『自分』ではなく、何かの代表・代弁者(representative)としての意識を求められることに疲れる」との悩みに複数の共感の声が出たことだ。

特定の属性を持つ人々を起用することで、コミュニティやイベントにおける「多様性」を確保しようとする。筆者は日米でそうした事例を見聞きし、経験してもきた。若いから、女性だから、〇〇系のルーツを持つから、何らかの特性や障害があるから……。

一度選ばれるとそれがしばらく続き、知らず知らずのうちに属性ありきの言動を求められる。まるで「このスパイス(人物)を入れさえすれば、どんな企画も『多様性』風味に!」というかのように。取材や会議では「〇〇としてどう考えるか」と問われ、「〇〇といっても人それぞれですが……」との返答はしばしば聞き流される。

「科学講演の依頼を辞退した時『では、女性かアフリカ系の知り合いで誰かいい人を知らないか』と聞かれて複雑な気持ちになった」と話す知人もいた。「あの人たちが呼びたかったのは、自分ではなく『女性』や『黒人』なんだ、と」。

多様性のアイコンとして選ばれた人々は、同胞や後進に対する代表者意識も手伝い、無理をしてしまう傾向がある。周囲から魅力的な個性の持ち主だと思われながら、内心では自信が持てずに苦しむ人々も少なくない。幼少期から変わり者扱いされ、批判や嫉妬を向けられる経験を重ねてきたことで「自分は『普通』ではない」と負の意識を抱えてしまうのだ。

人の役に立てるという安堵感から依頼を受けすぎたり、求められる像を無意識に演じてしまったり。公私を問わず小さな無理を重ねる中で「周囲が讃えるのは作られた自分。本当の姿を知られたら失望されるのではないか」との不安にも苛まれる(インポスター症候群)。
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文=坪子理美 イラストレーション=マチルダ・オービエ

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