キャリア・教育

2022.12.10 17:30

心臓が止まりかけた夜 臨死体験から得た、幸せ三原則 #人工呼吸のセラピスト

督 あかり
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押富さんの父・忍さん

忍さんは、家ではほとんど動かないけれど、ドライブに連れ出してくれたりするやさしいおお父さん。2013年に脳出血を起こした後、在宅療養し、2016年に亡くなった。

たつ江さんは陽気で、物事に動じない性格で、押富さんの在宅療養をずっと支えてきた。押富さんの発病前に、がんの治療をしていた時期もあり「あの子の介護があったから、私も長生きできたんだと思う」と笑う。

押富さんはそんな二人に感謝しつつ、「迷惑をかけている」という負い目も人一倍強かった。

闘病が長引く中で「先にいなくなったほうがきっと両親の心残りにはならない」と考えていたのも、決して不思議ではない。

「人が死ぬってこんな簡単なのか」


それが「子どもが死ぬかもしれないという現実を突きつけるのはいけないこと」と考えを改めたのは、2010年11月のできごとが影響している。

退院の準備中で、ヘルパーの派遣などの手配を進めていた夜、全身の激痛に襲われた。血圧も徐々に降下し、主治医が駆けつけたときには、既に自動血圧計で測れなくなっていた。それでも会話はできて「頭がフワッとする」と訴えるうち、目の前が白くなった。主治医が大声で名前を呼び、頬をたたいたのが分かったが、そのまま意識を失った。気づいたときは、点滴につながれていた。

「あのとき、心臓が止まりかけていたんだよ。強心剤で持ち直したけど、あのまま死んでもおかしくなかった」と主治医が後で教えてくれた。もちろん退院も延期になった。

「人が死ぬって、こんなに簡単なことなんだ」と思った。

それまでの「生命のピンチ」は、細菌性の肺炎から敗血症を併発して、臓器不全を起こし、高熱が出て抗生剤を投与してといった流れがあったのだが、今回は突然の臨死体験だったのだ。

笑顔で頑張るための三原則


「死ぬのは怖くないと思っていたが、そんなことを考える前にこの世からいなくなってしまうかもしれない」という現実を突きつけられた、とブログでつづっている。

具体的に「死」を見つめ、避けられないなら、そこまでどう生きるか、どうすれば親孝行になるかを考えた末に得た結論が──。

一、病気や障害はあるけど元気でいること。
二、毎日、楽しく笑って過ごしていられること。
三、今の生活を幸せに感じること。

これが、その後の押富さんの人生哲学になった。

連載「人工呼吸のセラピスト」
かつての職場の仲間たちとイチゴ狩り。いつも楽しむことを最優先してきた押富さん(前列右)

講演や市民活動でかなり無理をしていても笑顔で頑張れたのは、この三原則が揺るがなかったせいだろう。この先、私たちが老いたり、病に臥せったりしても、これらを実践できれば、自分らしい人生を生き切ることができるのではないだろうか。

亡くなってしばらくたったころ、一番信頼していた訪問看護師にお話をうかがった。この看護師は「押富さんは、活動を通じて地域の福祉を高めていくことを生きがいにしてきたと思っていたんですが、本人に聞くと『そんなんじゃない』って言うんです。意味がよくわからなかった」と首をかしげていた。

そのときは私もわからなかったが、三原則にあてはめるとすんなり説明できそうだ。

押富さんにとっては、将来に何かを達成することが目標ではなく、仲間や支援者と共に自分のやりたいこと、できることを広げて日々を楽しむことが、絶対的な生きがい。限りある命を自覚していたからこそ、すべての行動が「楽しむこと」を最上位に置いていたのだ。


連載:人工呼吸のセラピスト

文=安藤明夫

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