地獄めぐりの果てに辿り着いた魂の道標か!?「心の壊し方日記」が描くノワールな心の旅

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「フィルム・ノワール」と呼ばれる映画の数々がある。1940年代から1950年代にかけてアメリカで製作された犯罪映画の中でも、主人公の暗い心の彷徨を描き、ハッピーエンドとは無縁の結末を迎える作品を、フランスの映画評論家がそう名付けたそうだ。
 
そこから派生する形で、フランス語の暗黒を意味する「ノワール」という言葉は、映画の世界だけでなく犯罪小説などを経由して、21世紀の現実世界でも暗色の輝きを放っている。
 
個人的には、「苦役列車」で芥川賞を受賞した、暗くて深い心の沼に溺れるような読書体験を味わわせてくれた故・西村賢太の私小説もそう呼べる1つだと思うが、映画や小説といったフィクションの対岸から登場したのが、真魚八重子の「心の壊し方日記」だ。兄弟の死が引き金となり、人生の残酷な局面と向き合うことになった「わたし」こと著者が辿るダークな心の旅を描いたノンフィクションである。
 

亡兄には隠れた浪費癖があった


真魚八重子(まな・やえこ)という著者については、新聞やネットなど映画関連のメディアで名前やその仕事を目にしたことのある人も多いだろう。「映画系女子が行く!」(青弓社)や「血とエロスはいとこ同士 エモーショナル・ムーヴィ宣言」(Pヴァイン)などの著書もある映画ライターだ。ただし、この「心の壊し方日記」は映画にまつわる書籍ではない。
 
ある晩のこと、突如かかってきた1本の電話からすべてが始まる。久しく行き来が途絶えていた大学生の姪からだった。いぶかしみながら電話に出ると、相手はこう言った。「父が亡くなりました」と。
 
わたし(=著者)は3人兄妹の末っ子で、故郷を出て10数年、ほとんど帰郷することもないまま東京で結婚し、フリーランスのライターとして生計を立ててきた。そして、名古屋近郊の地元で暮らす10歳年長の長兄は、父に先立たれて1人暮らしの母親を支えながら地道に暮らしていた──、筈だった。
 
しかし、葬儀に出席し、今度は四十九日で再び実家に戻ると、一時帰国した外国暮らしの次兄とともに、喪主を務めた甥から呼び出されたわたしは驚愕の事実を知らされることになる。
 
実は亡兄には隠れた浪費癖があり、カードの負債で多額の借金を抱え、経済的には火だるまの状態だったのだ。さらには手を出したFX投資の損失を埋めるために母親の預金を取り崩し、わたしが相続する筈だった母親名義の土地も勝手に売り払っていた。
 
一方、1人暮らしの母親には認知症の気配が忍び寄っていた。家はプチゴミ屋敷状態となり、部屋の隅からはマルチ商法と思しき化粧品の類やペットボトルの水が山のように見つかるのである。
 
親兄弟ら肉親との死別は、悲しいことではあっても、誰もが通る人生の通過点だとも言える。しかし、著者を見舞った不幸の追い討ちは半端ではない。兄の負債、母の老いに頭を痛める最中、さらなる災厄が配偶者そして自分自身にも降りかかる。
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文=三橋 曉

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