地獄めぐりの果てに辿り着いた魂の道標か!?「心の壊し方日記」が描くノワールな心の旅


重なり合う21世紀日本の現実


著者には「バッドエンドの誘惑」(洋泉社)という、なぜ人は厭な映画を観ずにはおれないのかというテーマに挑んだ好著がある。他人の不幸は蜜の味という不謹慎きわまりない物言いもあるが、ノワールと呼ばれる映画や犯罪小説が、ミレニアムをまたいだ今も観客や読者を得ているように、他者に訪れる数奇な運命の物語には人を惹きつけずにはおかない魔力があるのだろう。
 
映画セールスの常套句「実話にもとづく」ほど、見飽きて、うんざりさせられるものもないが、それを逆手に取るような帯の背にある「全部映画ならいいのに」というコピーが秀逸だ。本書で詳らかにされていく「最悪の事態」の波状攻撃は、読者に目を逸らすことも許さないという点で、生半可なフィクションなど足元にも及ばない。
 
著者はその体験の一部始終を、驚くべき胆力をもって冷静な一人称を貫き、記していく。やがて事態は凄絶としか言いようのないカタストロフィを迎えるが、そこに至ってもなお、すべては自らが招いたこととわたしは悟ったように自戒するのみなのである。
 
しかし賢明な読者なら、著者の悲惨な体験の数々も、実は身近な日常でよく見かける光景であることに気づくだろう。
 
無垢な信者を食い物にする悪質な宗教集団の存在や、入国管理センターでの外国人虐待のニュースなど、本書でもさりげなく触れられる罪なき人々を虐げて憚らない事件の数々は、つい最近も高橋伴明監督が映画「夜明けまでバス停で」(2022年)で暴いてみせた21世紀の日本の現実と重なり合う。
 
本書の背景にあるのは、悲しいかな、わが国の現状そのものなのである。そんな魂の地獄めぐりが繰り広げられる本書だが、タイトルにある「壊し方」が実は「癒し方」であるかと思える一瞬がある。地を這う5年間の果てに、書くことの必要性を再発見し、言葉を選び、文章を考えるなど、映画について執筆する喜びを著者が取り戻すくだりである。
 
著者は「バッドエンドの誘惑」の中で、映画が描くどん底がなぜか美しいセンチメンタリズムを生むと考察したが、虚構の世界から目を転じて、現実におけるノワールの闇に迷い込んだ人々への道標として著したのが本書「心の壊し方日記」だろう。今の世の中で生きづらさに苦しみ、人生の暗い坑道に迷い込んだ人々に、生きるヒントと勇気をもたらしてくれる1冊だと思う。


「心の壊し方日記」真魚八重子 左右社刊

文=三橋 曉

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