名和晃平《PixCell-Lion》2015 Photo:表恒
匡|SANDWICH
「現代」の下に術の中にある種の救いがあるとして
劇王チャーリー・チャプリンは「近代」をじつに的確に理解していた。映画『モダン・タイムス』(1936)の冒頭が時計で始まるように、それは文字どおり時間を重視する。続くシーンで牛の家畜と工場労働者が重ねられているのは、時間が管理する空間に人間の行動を限定する近代の象徴である。近代人は時間に飼い慣らされた家畜なのだ。
むろん近代の時間は速度としても現れる。工場内ではベルトコンベアーの単純作業が繰り返されているが、資本家の命令によってその速度は徐々に高まり、やがて労働者の身体は機械と一体化していく。人間のための機械から機械のための人間へという倒錯。そうした近代的な疎外論を、喜劇によって巧みに表現した手腕が素晴らしい。
近代の根底にあるのは、効率と合理性という価値観である。それは、事実として社会全体を大いに発展させたが、反面、多くの弊害も生んだ。機械に従属させられた労働者が狂気を帯びていくように、それは私たちの精神を蝕み、人生の目的を見失わせることもある。映画のラストシーンが、必ずしも幸福を約束しているように見えないのは、近代と無縁の桃源郷がもはや存在しない哀しみを、私たちが知っているからにほかならない。
しかし、希望が完全に潰えたわけではない。効率と合理性を強いる世界の息苦しさから逃れたい私たちは、芸術の中に、ある種の救いを見ているからだ。本展で紹介されているのは、精神科医でコレクターの高橋龍太郎が収集してきた作品群。公立美術館に収蔵されていないことの多い90年代以後の現代美術を、一挙に目撃できる貴重な展観である。だが見どころは、それだけではない。
奈良美智の《深い深い水たまりⅡ》は、頭に包帯を巻いた少女のほか、背景には四角い綿布が無数に重ね貼りされている。傷を癒すための処置が人物を超えて世界全体に行き渡っているのだ。近代に代わる価値観として「現代」があるとすれば、それはチャプリンの狂気にも通じる、この過剰な表現から切り開かれるのではないか。
『高橋コレクション展 ミラー・ニューロン』
期間:〜6月28日(日)
場所:東京オペラシティ アートギャラリー[3Fギャラリー1, 2]
住所:〒163-1403東京都新宿区西新宿3-20-2