私が尊敬するのは……
セゾングループ創業者の堤清二さんです。
カリスマ経営者で詩人の堤清二さんに憧れて、セゾンの社員になりました。高度成長期のただ中にあった1980年代当時の日本で、すでに成熟化していく次の日本社会の姿を見据えたコンセプトの「総合生活産業」。ビジネスは生活者の真に豊かな人生を成就させるためにこそある。そうした理念に立脚してセゾン投信を創業した直後、堤さんにその報告をした際、「中野君、セゾングループらしい会社をつくってくれてありがとう」との言葉をいただきました。自身の誇りの一言です。
なかの・はるひろ◎1963年、東京都生まれ。明治大学商学部卒業後、現在のクレディセゾンへ入社。2006年にセゾン投信を設立。20年6月より現職。現在、国際分散型長期投資ファンド2本と特化型運用の日本株ファンド1本を運用、販売している。顧客数約16万人、預かり資産額は5000億円を超える。投資信託協会副会長、セゾン文化財団理事、経済同友会幹事。新著に『最新版つみたてNISAはこの9本から選びなさい』。
1980年代、文化、カルチャーの世界を席巻したのは西武百貨店を中心にした“セゾン文化”、つまり堤清二がつくり出したものだった。
コピーライター糸井重里を起用した「じぶん、新発見。」(80年)、「不思議、大好き。」(81年)、そして一世を風靡した「おいしい生活。」(82年)といったキャッチコピーとともに、セゾン文化は消費のあり様、企業のあり方を根本的に変えようとしていた。
東京・渋谷の西武百貨店のワンフロアすべてをつぶしてしつらえた「セゾン美術館」は、日本だけでなく、世界のアートシーンをリードした。同百貨店の役員は嘆いていた。このフロアだけでも、年間120億円以上の売り上げが見込めるのに……と。美術館は、年間10億円以上の赤字を出し続けたが、堤はまったく意に介さなかった。
「文化が、芸術が、企業のあり方を根底から変えていく」
文化が企業を変えていく。デパートは消費者の人生を変えていく。こうした堤の信念は終生、変わることはなかった。
“複雑”な経営者
しかし、その出発は決して美しいものではなかった。西武鉄道を中心にホテル、不動産、百貨店事業などから成る西武グループを一代にして築いた父は、堤の異母弟・義明に、鉄道、ホテルといった主力事業を継がせた。兄である堤に与えられたのは、“場末のデパート”と呼ばれていた東京・池袋の「西武百貨店」ただひとつだった。
木造2階建ての小さなデパートから出発した堤だったが、80年代後半には傘下の企業はおよそ200社を数え、年商5兆円を超えるセゾングループを築き上げる。父・康次郎を超える経営者となったのだ。
堤は複雑な経営者だった。
「感性が足りない」。堤の指摘に、部下たちは真意を測りかね、苦悩した。また、異色の経歴もその複雑さを助長させた。東京大学時代は、共産党の“細胞”として活動。仲間には、終生変わらぬ友情で結ばれていた読売新聞グループ代表取締役主筆の渡邉恒雄、日本テレビ放送網会長だった氏家齋一郎がいた。2011年に氏家が他界すると、しばらくの間、堤は口癖のように、こう漏らしていた。
「今日もツネに呼ばれてね」
ツネとは渡邉恒雄のこと。氏家を失った寂しさから、渡邉は2日にあげずに堤を呼んでは、時間を共にした。
堤は東大在学中、父に絶縁状を送っているが、共産党離党後は許しを請い、衆議院議長だった父の秘書となる。
一方で、辻井喬の筆名で詩人として文学界にデビューし、その数年後には『彷徨の季節の中で』で小説家デビューも果たす。文学者としても後に谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞し、一流作家としての地位も築いた。