なぜ僕は「主人公が女優で警察官」の小説を書くことになったのか

Getty Images

共同作業が前提の映画業界で長らく暮らしていた僕は、小説の執筆を始めたとき、本当に個人プレーだなあ、としみじみ感じた。とはいえ、やはり完全に1人でなにかをつくることはできない。

小説家にとって最も身近な存在は編集者だ。「次はこれを書きたい」と企画を出す先も、意見をくれるのも編集者である。映画と比較すると、文芸の世界は映画よりも、企画の段階では、間口がかなり広いと思う。

映画づくりには多額の制作費が必要で、その資金は制作会社がまず出す(立て替える)。このような事情から、制作会社は、金を出す(あるいは調達する)に値するかどうかを、企画に対して鵜の目鷹の目で調査する。

ところが、小説の場合は、映画で言うところのシナリオライター、俳優、演出をすべて作家が1人で引き受けているに等しい。この方面のギャラはすべて小説家がまず飲み込んで、1人で制作に突入する。そして成果物(映画で言えば原盤に相当する原稿)を出版社に渡す。

出版社は映画業界でいうと配給会社みたいなものだ。では、編集者はなにに当たるのかというと、プロデューサーに近い。

人のアイデアはどんどん取り入れる


文芸の世界では企画を受け入れる柔軟性が高いと書いたばかりなのでこういうことを告白するのは気が引けるが、つい最近、僕は出した企画にダメ出しを食らうという憂き目にあった。

その出版社とはその時点ではまだつき合いがなかったのだが、「なにかうちでもひとつ」と言われて最初に出した企画が「残念ながら……」と却下されたのである。

理由を訊いてみると、「とにかくまずは警察小説を」とのことだった。主人公を男にしようが女にしようがかまわない。話法が1人称だろうが3人称だろうがそれは作家にお任せする、だけど警察小説でなければならない、というわけだ。

それで、「インディペンデント映画女優と監督をやりながら刑事をやっているって設定はどうですか」と半ばやけくそで言ったら、「いいですね、それで行きましょう」と思いのほか好感触を得た。それでも、まさかこんな企画は通るまいと高を括っていたら、通ってしまったのである。こうして生まれたのが最新作「アクション 捜査一課 刈谷杏奈の事件簿」(以下「アクション」と表記)である。

編集者というのは、こちらが第一稿を提出すと豹変し、やたらと細部に踏み込んでくるようになる。ここは改行したほうがいいとか、文章が長いので句点を打って、分けませんかとか、いろいろ言ってくれるわけだ。

僕はこういうアドバイスは割とどんどん取り入れちゃうほうである。ケチをつけられたような気持ちになって怒る人もいるらしいが(編集者が恐る恐る言うので、訊いてみたらそういうことらしい)、割と平気なほうである。

これは長らく映画業界にいたことと関連しているのではないか。とにかく、映画のシナリオの直しはキツい。その作品に関わる各方面からさまざまな意見が噴出し、つくり手はとりあえず聞くフリくらいはしなければならない。

フリくらいならいいじゃないかと思われるだろうが、これが結構ダメージになる。僕の友人の売れっ子シナリオライターは「訳のわかんない意見が多くて、ノイローゼになりそうだよ」とよくこぼしている。
次ページ > その筋の専門家に聴取に行くことも

文=榎本憲男

ForbesBrandVoice

人気記事