社会変革推進財団(SIIF)常務理事の工藤七子は日本で「インパクトエコノミー」が加速度的に進んだ様をそう振り返る。
SIIFが日本財団からスピンアウトするかたちで設立されたのは17年。目的は、日本初のSIB(ソーシャル・インパクト・ボンド)を組成するためだ。
SIIFは日本において、インパクト投資、休眠預金、フィランソロピーといった「新しいお金の流れ」を実現するために、SIBやIMM(インパクト測定・マネジメント)といった手法を広めたインパクトエコノミー領域の先駆者だが、当時は「インパクト投資」という言葉すらなく「社会的インパクト投資」と呼んでいた。
設立前の事業計画書には、18年1月に法全体が施行された「休眠預金等活用法」案の実現に向けた働きかけも記されていた。当時の日本のインパクト投資市場規模は小さく、15年337億円、16年718億円だ。
SIIFはインパクト投資の象徴的な事例をつくるべく、19年に「はたらくFUND」を設立。日本では事例の少ない外部投資家の参加するインパクト投資ファンドで、共同運営者には新生企業投資の連結子会社である新生銀行インパクト投資、運営アドバイザーにはみずほ銀行を迎え、経済の本流を支える金融機関を巻き込んだ。21年には金融機関21社(当時)が署名した「インパクト志向金融宣言」を事務局としてまとめあげた。
日本でインパクトエコノミーが急速に浸透した背景には、グローバル経済のインパクト化があるという。21年4月に発表された「グラスゴー・ファイナンシャル・アライアンス・フォー・ネットゼロ」。温室効果ガス排出量2050年実質ゼロを掲げた世界的な枠組みであり、現在、450社以上の金融機関が参加、総資産規模は130兆ドル以上だ。
「バンク・オブ・アメリカやブラックロックといった世界的な金融機関が、全ポートフォリオから炭素系を排除するロードマップを、本腰を入れてつくっている。グローバル経済のなかで、インパクトが主流化していくのは、間違いない流れだ」
日本の金融機関が、ESG投資から出発してインパクト化したのは、こうしたグローバル経済の大きな潮流へのリアクションという側面が大きいという。
「社会変革は、エージェントとストラクチャーの相互作用で起きるもの。インパクトエコノミーのストラクチャーが先行するかたちでエージェントも変わるはずだ」