イーロン・マスクはTwitter(ツイッター)を破壊しようとしているのだろうか?
ソーシャルメディアアプリTwitterの新オーナーであるマスクがなぜそんなことをしたいのか、筆者にはよくわからない。だが、マスクが下している決定が示唆しているとすれば、破壊することが計画であるように思える。
まず第一に、マスクは青いチェックマークの認証に焦点を当てすぎている。この虚栄心のシンボルが収益源になるとしたら「本当の」ユーザー層は金を払ってそのマークを取得しない。文字どおりだ。
認証バッジには明らかに2010年の雰囲気がある。当時、認証済みアカウントを気にする人が出てきて、発展する可能性が出てきた(少なくとも一部の人が考え始めたのはこの頃だ。認証バッジの制度は実際には2009年に立ち上がった)。
また、自分がどれだけ重要な人物であるかを他人に知らせるための虚栄心のシステムであるKloutが登場したのもこの頃だ。いつから気にしなくなったのかはわからないが、その経過は次のようなものだった。まず、私たちはアカウント認証とKloutのスコアに意味があると考えた。そのためフォロワー数を増やし、しょっちゅう投稿し、ソーシャルフィードの子守をするようになった。ある日、おそらく2014年ごろに筆者を含め一部の人はそれがすべて時間の無駄であることに気づいた。
私たちはまた、Twitterユーザーは2つのタイプに分けられることに気づいた。有名人と、それ以外の人たちだ。専制政治や君主制とは対照の真の民主主義のようにアプリはキム・カーダシアンの投稿スケジュールによって生きるか死ぬかが決まるわけではないことは誰もが知っている。そうなるのは大衆がアプリに群がり、それが文化の一部となったときだ。そのときこそ、真の進歩が起こる。キム・カーダシアンがそうだったように、Twitterも多くの人にとって馴染みがあったが、これ以上真の文化的な価値があるかどうか筆者は疑い始めている。
マスクは他に何をしたか。従業員のリモートワークを禁止した。従業員の半分と、CEOを含む幹部数名を解雇した。前途は厳しく、倒産もあり得ると皆に告げた。Twitterの収益の半分をサブスクリプションからあげる必要があると示唆した(それは収益の半分を迷惑メールにお金を払う人たちから得るべきだというようなものというのはさておき)。
それから、失敗した広告モデルもある。マスクはそれを可能にするのではなく、逆に共食いさせているようにみえる。おそらくマスクは広告主との関係を育てることがそれほど重要だとは思っていないのだろう。Tesla(テスラ)では、マスクは買うに値する最終製品を作るのに慣れている。Twitterは無料で、ほとんど製品を作っていない。私たちが製品だ。