TVコメンテーターになって気づいたこと

川村雄介の飛耳長目


番組は、見られてナンボの世界だ。高邁だろうが格調高かろうが専門的だろうが、視聴者が寄り付かなければ無意味である。そして視聴者に関心があるテーマは、マクロではなくミクロ、抽象的理論ではなく個別具体的な実践だ。

政府や企業がどうか、ではなく、自分の給料が上がるか下がるか、買い物のコツは何か、のほうがはるかに重要である。円安のメカニズムがどうあれ、自分たちの日常生活がどう変わるか、が大切なのである。生活者の視点、といわれるゆえんだろう。

お茶の間で気軽に情報を得るためには、こうしたメディアが簡便で楽しい。それはそれでよい。気になるのはその先である。納豆ネタだろうが、海鞘アイドルだろうが、伝えられていることそのものは事実(のはず)だが、そこにいわゆるコメントが入ると、三段論法的疑似事実や論者の個人的な切り口が、本来の事実をゆがめ始める。

視聴者は警戒モードに入らなければならないのだが、巧みな話法や映像・音楽効果でなかなかそうはいかない。気が付くと、虚構に近い疑似事実を真実と思い込んでしまうものである。

こうなると一部の国々では、言論統制をしてしまえ、となる。だが、それは絶対の禁じ手だ。表現する自由とされない自由の均衡こそ追求すべきである。

あらためてバルザックの次の箴言の含意を酌み取りたいものだ。

「ジャーナリズムの息の根を止めるのは不可能ではない。一民族を亡ぼす時と同様、自由を与えさえすれば良い」


川村雄介◎一般社団法人 グローカル政策研究所 代表理事。1953年、神奈川県生まれ。長崎大学経済学部教授、大和総研副理事長を経て、現職。東京大学工学部アドバイザリー・ボードを兼務。

文=川村雄介

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