キャリア・教育

2022.11.14 18:00

現場に身を置くことで知覚が刺激され、小説へと繋がっていく

Getty Images


現地で聞いた水音の残響


ともあれ、取材に出かけようと思い立ったら出かける。もう十分知っているような場所であっても、出かけて体に馴染ませることもある。「巡査長 真行寺弘道」シリーズを書く際には、桜田門とその周辺をやたらとぐるぐる歩き回った。小学生の団体と一緒に、警視庁の見学ツアーにも参加した。
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先日刊行した「アクション 捜査一課 刈谷杏奈の事件簿」の事件現場は東京都西多摩郡檜原村下元郷の中山の滝である。最初の事件の発生現場をここに設定しようと決めた後で、現地を見に行った。


中山の滝

この事件を担当する五日市署(作中ではあきる野署)を見て、ヒロインと相棒の刑事が昼飯を食べる食堂を探し、そこで生姜焼き定食を頼み、2人がコーヒーを買うコンビニの位置を確認した。そこからずいぶんと歩いて中山の滝(俗称「アメリカ淵」)まで行き、滝壺の近くまで降り、帰りがけに売店のお姉さんたちに、時間帯による交通量や落葉の時期などを取材した。
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中山の滝

この取材の収穫の一番は光景よりもむしろ音だった。秋川から南秋川に沿って歩いていると、水の音が耳をくすぐった。僕は音に対して敏感な性質で、この水音の残響が耳の奥に居座り続けた。
 
偶然かもしれないが、僕はヒロインのプライベートな空間を都下の国分寺市に定めていた。思えば、国分寺も水の豊かな場所だ。この町には雑木林がある。林には湧き水が出て、それが「はけ」と呼ばれる崖を伝ってしたたり落ち、その水は水路を流れる水流となって、近くの川に合流する。

この湧き水を集めた水路沿いに石畳が敷かれ、遊歩道となっていて、静かな時間に歩くとチロチロとかすかに水音がする。この湧き水は「お鷹の道・真姿の池湧水群」と呼ばれる。


お鷹の道・真姿の池湧水群

作中には「きぬたや」という蕎麦屋が出てくるが、実はこの店は実在する。最初は、誘われて行った。僕のデビューのきっかけをつくってくれた編集者が文庫の見本受け渡し時に、待ち合わせ場所としてこの店を指定してきた。

たいへん美味しかったので気に入って、ヒロインたちがよく通う店に設定してしまった。叱られるかなと思って、先日、挨拶がてら食べにいったら喜んでくれたのでほっとした。この「きぬたや」は湧き水が流れる水路の近くに店を構えている。いま思うと、そのことがなんとなく好ましくて、登場させたような気もする。

やがて、書き進めるうちに、山深い場所にある中山の滝の轟々たる音と散歩道でもあるお鷹の道の水路の流れは対照的ではあるが、荒々しい事件現場とヒロインの静かなプライベートな時空が水音によって繋がっていた。ふたつの場所を水というイメージ(映像)でつなぐという着想は、行かなくても可能だったが思いつかなかったのである。

中山の滝と、国分寺のお鷹の道の写真だけを見て水の音を頭の中に喚起することもできるのかもしれないが、僕にはそこまでの想像力はなかったようだ。このアイディアは現地で音を聞いてはじめて思い浮かんだものである。現場に身を置くことによって知覚が刺激され、それが作品へ繋がっていく、小説を書くというのはそんな不思議さを味わうことでもある。


「アクション 捜査一課 刈谷杏奈の事件簿」

文・写真=榎本憲男

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