ブルックリン側からイーストリバーを眺める人気のデートスポットRiver Cafeも、街からタクシーで行ってタクシーで直接帰ってくる場所で、レストラン近くの地下鉄の駅までの5分の距離も夜間は歩かない場所だった。
当時、筆者はブルックリンブリッジが見える倉庫街で、1000スクエアフィート(約92平米)の部屋を借りていた。天井はものすごく高く6mくらいあり、それこそ「マイ・インターン」のオフィスのような室内だった。1カ月800ドルで日本円にしておよそ8万円の家賃だったが、最近は同じ広さの場所で50万円にもなってると知ってびっくりしている。
NYの再開発がすごいのか、地元企業巻き込んだ経済効果の作り方がすごいのか、20年で街は様変わりした。そして、この再開発のカギは、美容もアートも含む「美」のクリエイターたちだった。最初にこの危なそうなエリアに目をつけて住み始めたのが彼らだったのだ。
マンハッタンのSOHOも同じ現象で生まれ変わった。家賃が安いところはどこにでもあるが、近所迷惑にならないことと、ゴミ捨て場のような雑然とした場所だったという2つの条件が、クリエイターへの訴求ポイントだったと思う。普通の人が捨てるような廃材などが散乱する場所から、何かを見つけては価値をうみだすのが彼らなのだ。
最近でいえば、先進国が投棄した廃材でアートを作るアーティスト・長坂真護がわかりやすいが、遠くは室町時代の陶芸も同じく、土と垂れた釉薬から新しい「美」の景色を見出し、それまでの壮麗な中国磁器の価値観に新風を吹き込んだ。
スタイリストも、星の数程ある洋服やアクセサリーを組み合わせモデルに着せ、一つの「美」をつくりだす。美容師も、「ボサボサになったから来た」という客の頭を見て創造が湧き、最高のヘアスタイルをつくる。頭に15万本もある、長さの違う頭髪を美しくまとめてしまう。庭師も崩壊した軒先を見てこそ、匠のエネルギーが沸々わいてくる。
「美」は混沌や雑然から生みだされ、「美」のエキスパートの姿勢と審美眼は、最後には街を変え、景色を変え、そこを訪れる人の意識を変える。美容に携わる人達も常に、他の「美」のクリエイターが何をしているのか、何を今みているのかを知るのが刺激となり、そのヒントや答えは現代美術館にあったりする。