バリア部隊は、第二次世界大戦中に旧ソ連のバリア部隊が行ったように、逃亡する兵士を逮捕したり、射殺さえしたりして罰する。
このような厳しい措置はおそらく80年前には大きな違いを生み出さなかっただろう。そして現代でもおそらく役に立たないだろう。バリア部隊は、おびえた前線部隊が陣地を放棄するのを抑止するかもしれない。しかし、そのやり方はひどいもので、かなりの犠牲をともなう。ウクライナでの戦争は例外だと考える理由はない。
1942年当時、ドイツ軍はモスクワに向かって進軍し、旧ソ連軍は後退していた。同年7月、時の首相スターリンは原則として退却を禁止する命令を出し、バリア部隊はそれを取り締まらなければならなかった。「結論は、退却を止めるときだということだ。一歩も後退してはならない。今からこれが我々のスローガンだ」とスターリンは書いている。
やがて、1万人ほどの兵士を抱えるすべての部隊に、200人規模のバリア部隊が5つも配備されるようになった。米ダートマス大学の政治学者ジェイソン・ライアルは、1942年8月から10月にかけて、兵士3万8600人を監視する193のバリア部隊が戦場から逃げ出した推定14万755人の兵士を拘束したと結論づけた。
バリア部隊が逃亡兵を何人射殺したかは不明だ。おそらくごく少数だろう。ライアルによると、バリア部隊の仕事は通常「捕まえて釈放する」ことだった。拘束された兵士のほとんどは最終的に所属していた部隊に「誘導」された。
旧ソ連の運命はスターリンの命令の後、すぐに好転した。だが、退却する部隊を罰するという厳しい策のために状況が好転したと考えるのはおそらく不正確だろう。というより、ドイツ軍が800マイル(約1287キロ)におよぶ補給線を維持できなかったのに対して、旧ソ連軍の補給は改善されたためだ。冬の到来は補給不足のドイツ軍の悲惨な状態を強化するものではなかった。
Russian propagandists suggest reviving Soviet practices of barrier units (that shoot their own soldiers trying to flee) and say that current Russian repressive system in the army is too mild. pic.twitter.com/v6l1HW2vsY
— Anton Gerashchenko (@Gerashchenko_en) October 31, 2022