思わぬ追い風、CIブーム到来
だがほどなくして、追い風ともなる出来事が起きた。
「まずは当時の国鉄や地下鉄、空港のサインに採用されたことを機に、お墨付きができたと信頼度が上がりました。さらに、CI(コーポレイト・アイデンティティ)ブームが到来。大手企業ロゴの色や形を、まさに『寸分違わずに』反復再現する必要が出てきたのです。従来のように北海道から沖縄まで地元の職人さんがペンキで、人の手で再現しようとしてもどうしてもブレが出る、腕によっても違いが出てしまう。
そこで、まったく同じデザインを等価なクオリティで反復することに適したカッティングシートが一気に広がりました。マニュアルをコンピューター管理できる環境が整い始めたことも、飛躍的に普及した要因ですね」
有明見本市会場のサインも同社の製品が採用されている
国鉄の駅内のロゴとCIブームを通して、まさに、機能と美装と耐久性を兼ね備えた新しい「サイン文化」が時代に受け入れられたのだった。
だが、ビジネスの成功にともなって思わぬ新たな問題意識も生まれた。CIブーム以降、様々な店舗などで中川ケミカルのカッティングシートをサインに使い始めたことで、瞬く間にカッティングボードのさまざまな色彩が街に溢れたのだ。
わが社の製品が街を汚していることにならないか。カッティングシートこそが「色公害」の原因になっているんじゃないか。
「これは当時社長になっていた中川幸也の言葉です」と小林は言う。中川は様変わりした繁華街を見て、街の景観と素材の「過剰な蜜月」を感じたのだ。
「たとえ個々では完結したデザインでも、それらが連続した風景に共存することで、街を歩く人々の視野内で衝突も起こす。だから各事業体が好き勝手をやっていたら、街を汚すことにもなりかねない」
中川ケミカルのカッティングシートは材料がシンプルで、汎用性が高いのが特長。その反面、あまりにも自由な使われ方をされることで、ネガティブな結果を生むこともあったのだ。
「CS デザイン賞」誕生
「そこで、カッティングシートをもっと世の景観のプラスにする方法はないかと考えて、作られたのが『CS デザイン賞』です。使い手の技量の底上げをすることで、美しいデザインが的確な形で世に出るようにという願いを込めての施策でした」
この「CS デザイン賞」は、カッティングシートをはじめとする装飾用シートを使用した優れた作品を表彰し、広く紹介するデザインコンペで、現在2年に一度開催されている。
驚くべきことに、1982年の初年度から審査員として、デザイン評論の草分け的存在で日本デザイン学会設立委員でもあった勝見勝氏、日本グラフィックデザイナー協会の初代会長である亀倉雄策氏といった面々が名を連ねた。
「当時まだ40歳そこそこの中川が、たとえば勝見先生の門戸を叩いたのはすごい勇気だったと思いますね。1964年の東京オリンピックのアートディレクターで、競技ピクトグラムを考案されたような方をよくぞ説得できたものです。もちろんそれぞれ先見の明がおありだったればこそですが、次世代マテリアルとしての可能性を感じ、賛同いただいたことは誇らしく思います」