葬儀というシチュエーションを離れて考えても、既婚女性の呼称については議論され尽くした印象があるが、いまだに「うん、これは今の私たちの感覚にしっくりくるね」という適当な単語がない。奥さん、家内、嫁、どれも個人より家を強く意識させられる。
身内から「うちの××です」と人に紹介されるとき、第三者から呼ばれるとき、自分で言うとき、どの場合でも、「なんだかなぁ」という、うっすらとしたモヤモヤが残る。
そういえば一昔前はあまり聞き慣れなかった「パートナー」という言葉が一般的になってきたように思う。異性でも、同性でも、結婚しててもしてなくても、なんらか本人にとって意味付けされた関係をまるっと引き受ける言葉「パートナー」、これくらいのフラットさが今の感覚と合うのだと思う。
しかし、斎場で「喪主のパートナーさん、こちらへ」というのはやはりそぐわない感じがする。斎場においてもパートナーという言葉に違和感がなくなるか、お嫁さんに代替する言葉が生まれるか、さらにときが進めば変わっていくのかもしれないし、そうであって欲しいと思う。
"元"家族関係の不思議?「義理なくない?」
家族やパートナーシップにおいて、関係性は千差万別。同じものは1つとなく、結婚、離婚、交際などの枠組みの中にある個別の関係性は様々だ。自分が結婚と離婚を経験して、つくづく思う。例えば私の場合、離婚後の"元"家族関係について、周囲から不思議がられることがよくある。
離婚した元夫と良好な関係であることは一般的な想像の範囲内のようで、違和感を持たれることはあまりない。「離婚後も協力して子育てできるのっていいですね」てな具合いだ。それが、離婚後も元義理の買い物に付き添ったり、家に様子を見に行くとなると、「もうそんな義理なくない?なんで?」と言われる。詳しい説明を求められているわけではないので、「娘のおばあちゃんだからね」と言うと、「ああ、なるほどね」と納得が得られる。
しかし私にとっては、日常的にお互いを気にかけ合うことや、彼女の最期を見届けることは必然だった。元義母との関係として一般的かどうかはどうでもいいし、おそらく一般的なんてものはないのだろう。
家族というテーマは身近で、自分ごとで、誰しもに当事者経験があるからこそ、一般化されやすく「誰もが自分と同じ感覚だろう」と錯覚しがちだ。「お嫁さんという呼称でまあいいでしょう」となるのもその一部だ。すべての人の、すべての個別具体的な関係性に名前を付けることはできないから、それを包含したフラットな言葉があるといいのかもしれない。
イタリア語やフランス語の「マダム」は、女性に対して声をかけるときに一律で使われる。例えばそんなものでもいい。表からは見えにくいそれぞれの関係性と想いが、どれも等しく尊重されることを祈る。
南部彩子(なんぶ・あやこ)◎日本IBMから複数のベンチャー企業、NPO勤務を経て独立、現在はパーソナルスタイリングのリワードローブ取締役。子育て中の女性、経営者、シニアまで幅広いユーザーへ服のスタイリングを提供、人が自分らしく装い、個性を楽しむ社会を望む。様々な職場環境と福祉現場の経験を持ち、「それぞれの個性が活きるダイバーシティ」がライフテーマ。スタイリストである経営パートナー川村梨沙との実践着回し解説動画も好評。