「読んでいない本について堂々と語る方法」

読んでいない本について堂々と語る方法(ピエール・バイヤール著、大浦 康介訳、筑摩書房刊)

読書の秋である。

誰しも、本棚を眺めると、買ったはいいが一度も開いていない本が一冊は見つかるはずだ。今年こそ読み切ってしまおうと思い立つが、なかなか腰が上がらない。なんとかページを開くところまでたどりついても、残りの分厚さに目眩がして閉じてしまう。そうこうしているうちに時間が月単位、年単位で流れていき、その本はただのインテリアと化す。

多くの人が心の底に抱えているが、しかし口に出すのは憚られる本音がある。

本を読み切るのは誰にとっても「面倒」


つまり、「本を読み切るのは難しい」。もう少し大胆に言えば、「本を読み切るのは面倒」なのである。

一冊の本を読破するには、ページ数や読む速度にもよるが、数時間を要する。歳を追うにつれて長時間、読書に没頭できる集中力は失われていくし、それだけの余暇を確保すること自体が困難になる。取りかからなければならない仕事は相変わらず山積みだし、観たい映画やドラマは、こちらの事情など考えず次々と溜まっていく。手元ではスマートフォンのSNSアプリが誘惑してくる。読書の秋だからといって、読書専用の時間はどこからも生まれない……。

とは言え、読書そのものを諦めてしまうのは勿体ない。書籍からしか吸収できない教養やインスピレーションは当然あるし、何より私たちは、できることなら本が読みたいのである。決して本を嫌いになったわけではないのだ。

「本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ」


少し発想を転換してみよう。何故読書が面倒になってしまったのか。それは「読み切ろう」としてしまうからだ。記されている文字全てに目を通そうとするから、途方もない作業であるように思えるのだ。しかし、そこまで努力しても私たちは一冊の本を一字一句暗記できるわけではない。大まかなあらすじと印象的なフレーズ、面白さや刺激を記憶するだけで精一杯だ。

であれば、最初から気を張って本に立ち向かう必要はない。ぼんやりと読み流していても、面白さは向こうからやって来てくれるはずだ。緩い心意気で読書することにためらってしまう人もいるだろうが、しかし読書から遠ざかってしまうよりはマシである。本棚に眠っているタスクを曲がりなりにも消化できるし、次の本に手を出す気力も湧く。大事なのは、本に対する意識を、ほんの少しだけ低くすることだ。

私たちの背中を押してくれる心強い書籍がある。フランスの精神分析家、ピエール・バイヤール氏の「読んでいない本について堂々と語る方法」だ。2008年に刊行された本書は「本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ」と豪語して全世界的に人気を博し、版を重ね続けている。

ずいぶんと思い切った主張だが、決して自暴自棄や思考停止の類いではない。むしろその逆で、読書という行為を徹底して考察しているのだ。そうすることで、私たちが持っている読書への固定観念を根底から覆そうと試みているのである。
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文=松尾優人 編集=石井節子

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