大好きな職場で作業療法士として働き、休日は友人たちとのドライブやボランティア活動。そんな日々が続くはずだったのに、重症筋無力症によって日常の風景は一変した。見通しの立たない入院生活が続き、さらにショッキングな宣告が待っていた。
(前回の記事:難病の診断に「ホッとした」理由 患者の心は揺れ動く)
休職後、病状悪化 話すのも難しい
交友関係も広く、青春真っ盛りだった 押富さんは真ん中
「早く治して戻ってきます」
この年の6月、押富さんは職場の先輩、同僚たちに休職の挨拶をして、大学病院に入院した。この時点で出ていた症状は、麺をすすることができない、パソコンのキーボードを人差し指1本でゆっくりとしか打てない、階段を駆け上がれない、など。それでも入院して強いステロイド剤を集中的に投与すれば回復は見込めると、病棟の主治医・ドラ先生から説明を受けていた。
ドラえもんを思わせる体型から押富さんがひそかに名付けたのだが、退院予定だった2週間後には、そのドラ先生が「病状の進行に治療が追いつかない」と頭を抱える状況になっていた。
のどや口の筋力低下による嚥下障害で、固形物がのどを通らなくなった。薬は粉末にしてもらい、飲むゼリーで流し込んだ。やがて唾液を飲み込むこともできなくなり、ひたすらティッシュでふき取った。
舌の動きが悪くなる構音障害によって言葉も不明瞭になり、何を言っているのか分かってもらえなくなった。
入院1カ月後には、トイレから戻ろうとして足の力が抜け、歩けなくなった。慌ててトイレ内のナースコールを呼んだところで意識が遠のいた。
そんなことが続き「絶対に一人で歩いちゃダメ」と叱られた。
胸腺にできた良性の胸腺腫が筋無力症の原因となる場合もあり、その切除手術が行われたが、効果はなかった。夜になると息苦しさが増し、眠れないようになった。呼吸筋のまひが進んでいた。
まさか25歳の自分が……遠のく職場復帰
「気管切開をします」とドラ先生が告げたのは、入院から5カ月を経た11月のことだった。
気管に孔を空けてカニューレと呼ばれる管を挿入し、そこから呼吸をしたり、痰の排出、吸引をしたりするのが気管切開だ。呼吸を安定させるメリットは大きいが、押富さんはすぐには同意できなかった。
25歳の自分がそこまで深刻な状況になったのが信じられなかったし、「人工呼吸の一歩手前」というイメージがある気管切開の身になっては、職場復帰の夢もますます遠のく。話すことができなくなるのが何よりのショックだった。呼吸状態が落ち着けば会話ができるカニューレに切り替える方法もあるが、いつになるか分からない。