また記事では「(ガチ中華とは)広東料理をベースに『日本化』したこれまでの中華料理とは別物で、中国の飛躍的な経済発展が生んだ21世紀の現代中華料理である」という筆者のコメントも取り上げている。
このことは何を意味するかといえば、2000年代以降に中国や台湾などの中国語圏に留学や駐在、出張や旅行で何度も足を運んだ人を除けば、「ガチ中華」を知るチャンスは少なかったということになる。多くの日本人の目に「ガチ中華」が新鮮に映るのは当然なのである。
筆者は学生だった1980年代、蒲田の「你好」本店に行ったことがある。時間をさかのぼれば、「ガチ中華」の始まりは、残留孤児として帰国し、1980年代に現地仕込みの料理を出した人たちにあると考えられるのだが、この記事はその始まりと現在を重ねるストーリーとなっていた。
料理以外の新しい側面を伝える記事として、共同通信記者による新潟日報10月7日「『ガチ中華』ブーム到来!?」がある。ここでは新宿区大久保の重慶料理店「撒椒小酒館」を訪れ、ナマズやザリガニなどの珍しい食材を使った料理や「ギラギラ系」と呼ばれる奇態な店舗デザインが紹介されている。
「ギラギラ系」とは、「国潮(グオチャオ)」と呼ばれる中国の伝統意匠を現代風にポップと融合させたデザイン様式を内装に採用している店のことで、大久保の「撒椒小酒館」は都内でもこのジャンルで有名な店である。
ギラギラ系を代表する大久保の「撒椒小酒館」
また同記事では「『ガチ中華』の店は外国人居住者が多い東京・新大久保で1990年代に出現したとみられ、その後池袋に中心が移り、2015年ごろから周辺でも急増」したと、今日のように顕在化する以前の「ガチ中華」の出現の経緯を伝えている。
もっとも、1990年代から今日に至る間に「ガチ中華」にもっと多くの出来事が起きていたのも確かである。それは、日本におけるエスニックビジネスの生成をめぐる平成30年史として語られるべき話であろう。
おそらく、今後しばらくは日中両国の政治的な対立は避けられないとの認識のなか、筆者を取材した記者たちは、日中関係にまつわる数少ない穏健な、また相互理解を深めるのに役立つ話題として、またわれわれの近未来の社会のありようについてひとつの予兆を与える現象として、「ガチ中華」という題材を選んだのではないかと推察する。
都内の中華フードコートで、中国人や台湾人、ベトナム人をはじめとした東南アジアの人たち、そこに好奇心旺盛な日本の大学生や女性グループ、旅行好きの中高年の夫婦なども加わり、ガチで本場の中華料理を楽しむ光景は、半世紀というそれなりの時間がもたらした自然の帰結であると考えている。