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2022.10.10

ジブリ鈴木敏夫の、ヒット作品を生む方法──仕事は公私混同でやるべき 

ジブリのプロデューサーである鈴木敏夫(Getty Images)

数々のヒット作品を世に送り出してきたスタジオジブリ。長く同社を牽引してきたのが、プロデューサーの鈴木敏夫さんです。2002年、アメリカでも公開された宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」は、見事、第75回アカデミー賞の長編アニメーション映画賞を受賞しました。日本の長編アニメーション作品としては初の快挙でした。

実は、鈴木さんにインタビューをしたとき、スタジオジブリの応接室で鈴木さんの後ろのガラス棚の中に、黄金に光るものが置かれているのが目に入っていました。「これはもしや……」とは思いつつも、そんな大事なものが無造作に棚の中に入れられているはずがない、と思い直したのでした。

それでも気になったので、インタビューの終了後に思い切って尋ねてみると、なんと本物のアカデミー賞のトロフィーだったのです。しかも、「見ますか?」と棚から出し、テーブルの上に置かれました。

それだけではありませんでした。「せっかくだから、どうぞ触ってみて」とおっしゃるのです。米国アカデミー賞のトロフィーを手にできる機会など、そうそうあるものではありません。恐る恐る手に取ると、「写真も撮ったら?」と言葉を重ねるのです。

これだけでももう、鈴木さんの人柄がわかると思います。インタビュー中も終始、笑顔で気さくに答えをいただけたのでした。

スタートは週刊誌の記者


鈴木さんのキャリアのスタートは、徳間書店の「週刊アサヒ芸能」の記者でした。

「僕は学生時代、特にやりたいことがない典型的なモラトリアム人間でした。将来はどうしようかと、悩んだ挙げ句に浮かんだのが、文章に関わる仕事でした。それまでアルバイトなどで書いたことがあって、上手かどうかは別にしてそれなりに書けた。それで出版社を受けたら、通ってしまったんです」

記者時代は、芸能から政治、暴力団まで、あらゆるテーマの事件を記事にしたといいます。

「事件を淡々と書くんです。余計な感情をはさんでしまったら、事実と違ってしまいますからね。その仕事でリアルにモノをとらえるということの大切さ、面白さを学びました」

そして29歳のとき、同じ徳間書店のアニメ雑誌「アニメージュ」の創刊に携わります。先輩の名物編集長に呼び出され、創刊を手伝ってほしいと言われたのです。
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文=上阪徹

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