ある日、呼吸を奪われた。それでも私は楽しむ|#人工呼吸のセラピスト

新連載「人工呼吸のセラピスト」

想像してほしい。

あなたが、仕事に情熱を持ち、充実した日々を過ごす20代の女性だったとする。

そして、病によって突然、体の自由を奪われたら。話すことも、食べることも、自力で呼吸をすることさえもできなくなったら──。

どんな人生が待っているだろうか。そのうえ、たびたび命の危機を迎えるハイリスクの患者だったとしたら、未来に希望を持てるだろうか。

24歳で重症筋無力症に 難局をどう乗り越えてきたか


この連載の主人公・押富俊恵さんは、愛知県内の病院の作業療法士(OT)だった。理学療法士(PT)などと並んで、患者のリハビリや心の支援を担う「医療系セラピスト」だ。

しかし、24歳で重症筋無力症と診断されて、退職せざるをえなくなり、気管切開から、常時人工呼吸の身になった。一時は、声を失い、口から食べることもできなくなった。肺炎や敗血症で、たびたび緊急入院し、2021年4月に、39歳で亡くなった。

連載「人工呼吸のセラピスト」主人公の押富さん
この連載の主人公、押富俊恵さん=2019年11月撮影

発症後の15年間に、彼女は「当事者セラピスト」として講演を重ね、医療や看護・介護の専門職が襟を正すメッセージの発信者になり、NPOのリーダーになった。人としての尊厳をなくすことなく、人生を楽しむことにこだわった。

多くの人は、病や老いによって体の機能や体力、健康を損ねたら、自身の尊厳を大切にするのは難しいはずだ。押富さんも病状の急激な進行に絶望した時期があったし、その後もさまざまな難局に遭遇した。それらを乗り越えていった彼女の工夫や努力、選択、信念をこの連載で見つめていきたい。それは、私たちが「思うようにならなくなった時の処し方」を考えるうえでのヒントに満ちていると思う。

私は、中日新聞の医療担当の編集委員として、がん医療、メンタルヘルス、医療的ケアが必要な障害児たちなどの記事を書いてきた。2019年9月に押富さんと出会い、その生きざまに圧倒された。いずれ新聞での連載にまとめることも考えて「押富俊恵研究」を始めたのだが、それが形になる前に、突然、天国に旅立ってしまった。

今年6月、私は65歳になって新聞社を退職した。フリーの立場になって、稀有のセラピスト・押富俊恵に改めて取り組みたい。患者にとっての生活とは何か、障害とは何か、何のために生きるのか。新連載「人工呼吸のセラピスト」では、彼女から学んだことを、できるだけわかりやすく伝えようと思う。コロナ禍で誰もが健康へのリスクと隣り合わせの生活を経験してきたいまだからこそ、伝えたい生き方の哲学が詰まっている。
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文=安藤明夫

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