一人ひとりがこれらを理解してこそ、ESG投資は力強く広がっていくのだ(本記事はボルテックス100年企業戦略オンラインに掲載された記事の転載となります)。
昨今メディアに盛んに取り上げられているESG投資がはじめて提唱されたのは、2005年である。2000年にSDGsの先代であるMDGs(ミレニアム・ディベロップメント・ゴール)が国連で採択され、その達成に必要な資金がODAではたりないことがわかり、民間に投資を求めるべく、2004年にコフィ・アナン元国連事務局長が、50社の大手金融機関のCEOに手紙をだした。このうち約20社が議論に参加した。
その結果、国連で本件を担当したチームは、民間金融機関の資金は年金なども含む顧客の金であり、一定のリターンをあげる必要があることを理解する。一方、当時の民間金融機関は、投資判断の際に、環境・社会や広義のガバナンスが長期的な企業の収益やキャッシュフローに与える影響を十二分に検討していないこともわかった。そこで、国連のチームは、財務ファクターに加え環境・社会やガバナンス(ESG)などの収益・キャッシュフローへの影響を長期でみて織り込んで投資判断することを、ESG投資という名称のもとに、2005年にだした“Who Cares Wins”というペーパーの中で、提唱したのである。
国連チームは、2005年に、投資リターンと社会へのインパクトの二兎を追う後出のインパクト投資を提案することもできた。その代わりに、ESG投資を提案したのは、2つの理由だそうだ。第一には、インパクト投資の対象は限定されること。第二には、ESGは気候変動に加えバイオダイバーシティから人権・サイバーセキュリティ・過度な節税の有無等多くの項目をカバーするが、それらに対して、より多くの投資家・経営者があるべき規制・消費者志向の変化からの企業業績へのインパクトについて深く考えることが、社会にとってより大きなインパクトを与えると考えたからだそうだ。
ところが、これはすぐには広まらなかった。グーグル検索でESG投資が広く検索されはじめるのは、2015年くらいからである。ESG投資は、なぜ国連による提唱から10年もたって、広まったのであろうか。
企業の持続は、社会の持続が前提だ。人間は、合理的であるならば、長期的には、社会のルールである規制を社会が持続するよう変更し、自身の購買行動も変えるのではないか。そして、企業は、社会の持続に関する規制や顧客行動が長期的にどのように変化するかを推測し、それを織り込んで経営していく必要がある。投資家も同様に、社会を持続するための規制や顧客行動の変化は、どのように企業の超長期的な収益やキャッシュフローに影響を与えるかを織り込んで投資をする必要がある。これがESG投資である。
昨年ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎博士が、徐々に増加する二酸化炭素による温暖化について警鐘をならしたのは1989年と30年以上前であった。そして2022年の今、気候変動は進み、大雨洪水、干ばつ、火事が頻発している。送電線のスパークが付近にあった木に引火し、大火事を引きおこしての電力会社の会社更生法申請や、超長期に氷に閉じ込められていた鹿に炭疽菌が付着していて、溶けだした鹿にふれた少年が死亡、などは映画の中の出来事のようだが、現実におきた事実である。
ちなみに、2019年に会社更生法の適用を申請した電力会社は、カリフォルニア州のPG&Eで、2018年の山火事の直前までS&Pからの格付けはAだった。気候温暖化がリアルなリスクとなり、多くの国がネットゼロ宣言(先進国の多くは2050年、発展途上国の一部は2060年など)をした。企業は、気候変動リスクの顕在化により、国の規制の変化・顧客の購買行動の変化やその他ステークホルダーの企業に対する期待の変化を予測し、経営に反映させている。日本企業を含む多くの企業がネットゼロ宣言をしたのはそのひとつの現れであろう。
世界銀行グループのMIGAに勤務しはじめてすぐの2013年に、気候変動が社会にとってリスクであるということの理解のレベルが、国際機関と民間では大きく異なることに気づいた。この差異は年々小さくなっていき、2015年はパリ協定が採択された。前職の関係で、パリ協定のあったCOP会議に参加したが、閣僚級が世界大多数の国から参加したことと、民間企業の参加者が非常に多かったことに驚いた。世界の大多数の国がパリ協定に批准したのは、気候変動リスクが社会にとって大きなリスクであることに、政府も気づいたためであろう。また、企業経営者も、気候変動に関する規制の変更があることを確信し、加えて、顧客の購買行動の変化も予想したのではないか。そして、投資家に国連が随分以前に提唱していたESG投資を思い出させたのではないか。これが、10年遅れでESG投資が拡大した理由についての筆者の推論である。
ESG投資は、利益・キャッシュフローそして企業価値に大きな影響を与えるファクターの見極めという観点から、以前は見落とされていたESGの分野においても企業価値に大きな影響を与える(マテリアル)ファクターを抽出して、それを加味して投資を行うというものである。
これは普通のあるべき投資であって、ESG投資と特筆するまでもない、という声が最近新聞等ででてきた。確かにそうなるといい、とは思う。しかし残念ながら、ESG投資があるべき普通の投資とはなっていない。ESGのうち企業価値に大きな影響をあたえるファクターは業界・企業によって異なるが、それが何かの特定が完全にできていない投資家は多い。加えて、ESGにおける情報開示にいたっては、その基準づくりの途中である。従って、ESGを含めて企業価値のマテリアルファクターをしっかり織り込んだ投資はまだ途上にあるといわざるを得ない。 企業の持続性の前提である社会の持続のために、ESG投資が果たす役割は大きいと考えるが、ESG投資の進展の阻害要因が2つある。1)ESG投資の定義と類似投資との差異の明確化と2)マテリアルファクターの抽出とデータの開示である。
ESG投資の定義と類似投資との差異の明確化
ESG投資は、環境・社会・ガバナンス(ESG)等が、その他の財務的な要素と共に、超長期に企業の収益やキャッシュフローにどのような影響を与えるか織り込んで判断した投資である。従って、個々のESG投資は、必ずしも社会にとってよい投資にはならない。ESGよりも、製品の技術的競合優位性・コスト構造・ビジネスの資産効率などが超長期にみた収益やキャッシュフローへ与える影響が大きい場合もある。また、ガバナンスに秀でているが、環境分野では劣位の企業に投資をするという判断がされることもある。しかし、一部投資家やメディアは、ESG投資すべてが環境によい投資であって、環境へのインパクトが小さいと“グリーンウォッシング”と非難したりする。これは誤りである。
また、インパクト投資、サステナブル投資、レスポンシブル投資といった投資もある。
このうち定義が明確なのがインパクト投資である。インパクト投資では、リターンをあげることと社会へのインパクトを与えることの両方を目指す。世銀グループIFC(国際金融公社)は、社会へのインパクトについては、投資前に定量的に把握する投資をインパクト投資と定義している。リターンと社会へのインパクトの両方を目指せるのであれば、インパクト投資を目指したほうがよいと思われる方も多いだろうが、残念ながら両方が達成できるような投資の対象は少ない。結果として、インパクト投資の世界全体の残高は約7,000億ドルと、2020年末の欧米日オーストラリア・ニュージーランド・カナダのESG投資残高の31兆ドル強の1/44しかない。
サスティナブル投資の定義は複数ある。EUは、サステナブル投資をインパクト投資とほぼ同義に使っている。一方、サステナブル投資をESG投資と同じように使う政府機関・個人投資家もいる。
レスポンシブル投資は、だれに対して責任をもつかという問題はあるが、一定の価値観のもとでの責任達成と投資リターンの双方を目指すような投資と考えられる。しかしPRI(ESG投資等を行う投資家が加盟しているNGOで、国連のリードで設立)はレスポンシブル投資とESG投資をほぼ同義に扱っている。また社会責任投資と同じと捉える人もいる。
ESG投資と似ていて、一部は非なる投資が、いくつもあるわけである。
サステナブル投資やレスポンシブル投資の定義がはっきりしないことや、ESG投資の歴史や投資家による使われ方が個人投資家やメディアによく理解されていないため、ESG投資を本来とは異なる意味で使う人がかなり存在する。特定の社会課題(気候変動や人権尊重等)の解決に、投資家があたるべきだと考えている人々がいる。そして、気候変動への短期的なインパクトが少ない投資は、気候変動が当該企業の価値へ与える影響が非常に小さくとも、“グリーンウォッシング”と非難する。これは的外れの非難といわざるをえない。
ESG投資は、利益・キャッシュフローそして企業価値に大きな影響を与えるファクターの見極めという観点から、以前は見落とされていたESGの分野においてもマテリアルファクターも抽出して、それを加味して投資を行うことである。この定義と、類似投資との相違の理解が進むことが、ESG投資の発展には必要である。
マテリアルファクターの抽出とデータの開示
企業によって、企業価値に大きく影響を与えるファクターは異なる。このマテリアルファクターの研究を長くおこなってきた米国のNGOのSASB(Sustainable Accounting Standard Board, IFRS財団下のISSBと2022年8月統合)は、77の業界のESGにおけるマテリアルファクターを、マテリアリティマップとして公開している。例えば銀行では、サイバーセキュリティがあげられている。現在は、ESGのうちで気候変動関連に人々の関心が集まっているが、マテリアルファクターは必ずしも気候変動だけではない。業界によっても、企業によっても、マテリアルファクターが異なるので、この見極めは重要である。
加えて、マテリアルファクターの情報(正しく、かつ競合等との比較ができるもの)がなければ、正しいESG投資はできない。ESG関連データの開示については、多くの民間機関が様々な方法を提唱して10年以上がすぎた。そして、昨年からその方法を統合していくための、民間機関の統合が急速なピッチで進んでいる。また、米国SECも基準のドラフトを発表した。EUも検討中である。この進捗がまたれる。
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ESG投資は、利益・キャッシュフローそして企業価値に大きな影響を与えるファクターを見極め、以前は見落とされていたESGにおけるマテリアルファクターも加味して判断する投資である。企業の持続性の前提である社会の持続のために、ESG投資が果たす役割は大きい。ESG投資の定義と類似投資との差異の明確化、ESGマテリアルファクターの特定とESGデータ開示の基準設定が進み、ESG投資が広がることを願う。
本田桂子(ほんだ けいこ)◎コロンビア大学国際公共政策大学院 Adjunct Professor and Adjunct Senior Research Scholar。ベイン・アンド・カンパニー、シェアソン・リーマン・ブラザーズ証券をへて、ペンシルバニア大学経営学大学院(ウォートン・スクール)修士課程を修了し、MBAの学位を取得。1989年マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク日本支社に入社。2007年からはマッキンゼー・アンド・カンパニーアジア部門初の女性シニア・パートナーとして、企業戦略やM&A等に関する助言を行う。2013年世界銀行グループ多数国間投資保証機関長官、2014年同機関長官CEOに就任。2019年に同機関退任後、2020年コロンビア大学国際公共政策大学院 Adjunct Professor and Adjunct Senior Research Scholar就任。現在は複数の上場企業の社外取締役も務める。
本記事は「100年企業研究オンライン」に掲載された記事の転載となります。元記事はこちら。
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