「国葬」は必要か 弁護士・菅野志桜里が沈黙を貫いた理由

9月27日に執り行われた安倍元首相の国葬 (Photo by AP Photo/Eugene Hoshiko/Pool/Anadolu Agency via Getty Images)

そもそも「国葬」そのものが必要だろうか──。賛否が割れるなか、安倍元首相の国葬が挙行されました。元検察官で衆議院議員経験もある弁護士・菅野志桜里が編集長を務める「The Tokyo Post」に自らつづったコラムを紹介します。


9月27日、安倍元総理の国葬が執り行われました。この間、安倍元総理の「国葬」についての意見を聞かれることが幾度かあったのですが、発言を控えていました。

私は、国会質疑以外に安倍元総理との接点はほとんどありません。ただ、同じ職場で、生身の人間同士議論をしてきた、その人が殺されて亡くなったということをまずは個人的に内的に受け止める時間が必要でした。

そして何より、故人が歴史の一部になる手前の、まだその死が生々しい時点で何かコメントして、故人の業績に通信簿をつけるようなことをしたくないと感じていました。

その上で、令和4年9月27日、国葬が執り行われたいま、改めて思うことがあります。

「〇〇氏は国葬に値するか」という問いが立つ不毛


誰かが亡くなって間もない段階で、「○○氏は国葬に値するか」という問いが立ってしまうような状況をつくるのはやめませんか。

言い換えれば、「大喪の礼」以外の国葬はしないことにしませんかという提案です。

国葬の法的根拠の要否を議論する前に、そうした国葬そのものを続けるのかどうかきちんと考えませんか、という呼びかけでもあります。

国葬の根拠法はない方がいいのか、ある方がいいのか


いま、国葬の法的整理として、「法的根拠が必要不可欠とはいえないが、民主主義の観点からは根拠法がつくられることが望ましい」という見解があります。もし、「今後も大喪の礼以外にも国葬を続ける」という前提に立つならば、私はこの見解に賛成です。

この点、特別の根拠法がないままに国葬が行われている国もあり、日本でも今後も立法せずに国葬を行うことは法的には可能なんだろうと思います。たとえば、9月7日のNHK報道によると、アメリカ・オーストラリア・イギリスなどは慣例で、南アフリカはマニュアルで、中国も法律の規定はなしに国葬が行われている一方、韓国は「国家葬」として明確な根拠法を持つとされています。

おそらく、個々の「国葬」の是非をギリギリ議論するというようなことを避けるため、米・豪・英などはあえて法律を作らず、慣例という知恵を使っている面もあるのでしょう。また、韓国にしても、現職大統領が判断するという法律になっているようです。

ただ、ひるがえって日本の現状をみたとき、今回の「国葬」でここまで国民の賛否が割れてしまった以上、慣例で安定的に国葬を継続することはほぼ不可能。根拠法をもとに国民の理解を調達する手立てを講じない限り、事実上今後国葬を行うことは難しいでしょう。
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文=菅野志桜里(The Tokyo Post編集長)

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