皮肉なことにエネルギーを人質にしたプーチンはバイデンに助けられている

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侵略に抵抗する者とその同盟国の通常の対応は、侵略者によって引き起こされる可能性のある損害を抑えることだ。しかし、今は明らかに平時ではない。プーチンがウクライナに侵攻した直後、バイデン政権の気候問題担当特使のジョン・ケリーはプーチンにウクライナからの撤退ではなく、炭素排出の制限だけを要求した。

プーチンはいま欧州にエネルギーを輸出することができなくなり、ケリーはその望みをかなえたのかもしれない(ただし、プーチンにはまだ中国とインドという貪欲なマーケットがあるが)。しかし、人間として、そして国家として自由に生き、生き残る権利のために戦い、苦しんでいるウクライナの人々にとっては、ほとんど慰めにはならないようだ。電気はなく、爆弾や銃弾から逃れ、食べるものを探すのに必死な人にとって、気候変動のような問題は現実的にはほとんど意味を持たない。

実際、本当に二者択一なのか私たちはみな、自問自答しなければならない。 気候変動との戦いは、即座に化石燃料なしの生活を送ることを意味するのか。それとも、経済的、政治的、環境的、道徳的に合理的で、最終的にはより持続可能な未来への道を開く、より段階的なプロセスがあるのだろうか。

今年の私たちの優先順位は歴史が判断することになるだろう。欧州が古い石炭発電所を再稼働させるとき、それは望んでいるからではなく、しなければならないからであり、私たちは不安な問いに直面している。プーチンがウクライナを攻撃しているときでさえ、気候変動と戦うためにすべての化石燃料を排除することに焦点を当て続けることは正しいのだろうか。あるいは、化石燃料に反対する極端な取り組みは不道徳で、皮肉にも環境破壊的な結果を生むことになったのか。汚染度の低い天然ガスが利用できない場合、汚染度の高い石炭が唯一の代替手段となるのだから。

地球上の生命の物語は道徳とは無関係だ。不道徳というわけではなく、生存しようとする生来の闘争は人間の基本的欲求であり、そこには道徳的な制限や注釈はない。プーチンのウクライナでの不道徳な銃撃戦にバイデンが気候変動に関する道徳観を注入したことが、将来の世代が真に道徳的と考える結果を生むのに役立ったのか、それともバイデンの姿勢がかえって、人類が今後何世代にもわたって苦しむとは言わないまでも、戦慄する結果を引き起こすのに役立ったのか、おそらく数十年後に明らかになる。

forbes.com 原文

翻訳=溝口慈子

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