創業者本田宗一郎氏の口癖は「世界一じゃなきゃ日本一じゃない」だったといわれています。たとえ日本一になったとしても、優秀な海外製品が輸入されてしまえばすぐに負けてしまうと、本田氏は創業後わずか4年で世界一を目指す夢を語ります。そして、世界水準の製品を生産すること、世界市場で勝利することを全従業員に求めました。
そしてHondaは2輪車の輸出に始まり、アメリカでの自社の販売網作りなどを経て、世界各国での2輪・4輪・汎用製品の現地生産へと、積極的に世界進出を果たしてきました。
ロサンゼルスに初の海外現地法人「アメリカン・ホンダ・モーター」を設立し、Hondaがアメリカ進出を果たしたのは1959年のことです。この進出の前にHondaはヨーロッパや東南アジアの市場調査も行いましたが、世界経済の中心であるアメリカで成功をおさめれば、おのずとほかの国へと自社製品が広がるとの考えで、アメリカでの挑戦を選択します。
1962年12月にはアメリカン・ホンダの年間総販売台数は4万台を突破し、契約販売店の数は全米一となり、世界進出への大きな足がかりを築きました。
会社を成長させるために、確実な道ではなくあえて険しい道を選択する。そんなチャレンジ精神が小さな会社を世界のHondaへと急成長させたといえるでしょう。
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