星野リゾート 星野 佳路

EY Entrepreneur

Of The Year™ 2022

Finalist Interview

Finalist 

Interview

アントレプレナーたちの熱源

星野リゾート

代表

星野 佳路

#10

「優秀な経営者になりたいと思った。それが、私がビジネスを志した初期のいちばんの大きな変化でした」

星野佳路が生まれ育ったのは、軽井沢の野鳥の森に接する星野エリア。幼少期は星野リゾートの前身である星野温泉旅館の周辺をワンダーランドに自然の機微に接してきた。「祖父は事あるごとに私を“うちの四代目”と紹介していたので実家を継ぐことに何ら疑問は抱かなかった」と話すが、小学生のころにスピードスケートにハマり、中学から東京の慶應高校に進学すると、大学卒業までアイスホッケーにのめり込んだ。

「引退した途端に、人生が終わったぐらいの勢いでアイデンティティロスに陥り、その空洞を埋めるように猛勉強して米国コーネル大学ホテル経営大学院に進みました。経営学を学ぶようになって、優秀な経営者とは何かに興味を持ち始めると、面白いことが分かってきました。上手いアイスホッケー選手と優秀な経営者というのは、『定石を大事にして鍛錬していく』という点で酷似していると。切り替えは速かったです」

リゾート運営の達人として
「運営特化戦略」を推進

優秀な経営者を目指すという目標をもって実家に戻ったことによって、当時の星野温泉旅館が抱えていた数々の問題点を把握することができたという星野。最も深刻な問題は人材不足だった。

「要因は大きく2つありました。ひとつは、ファミリービジネスが陥りやすい“公私混同”で、星野家の株主一族が特権階級になっていること。もうひとつは、経営に対する世代間の認識の差があったことです。父の時代は雇用に困らない時代で、しかも経営者と使用人という関係が存続していました。しかし私が留学していた時代のアメリカのマネジメント理論は『ヒューマンリソースマネージメント』が主流。父の時代とは異なり、社員にやる気がないのは社員の責任ではなく、経営者の責任とみなされるようになっていました。

特権階級があって公私混同している一族の会社に就職したいと思う人はいないし、そこで働いている人のモチベーションなど上がるわけがない。でも、人材とモチベーションがなければ企業は成長できません。いかにマーケティングを図るとか、どうやって魅力的なリゾートにしていこうだとか、それ以前の問題です。企業が成長する大前提として、体質改善というハードルをまずは乗り越える必要がありました」

1991年に31歳の若さで社長に就任した星野は、一族を説得して役員交代を実施し、次世代経営のスタイルへの転換を図る。また、同時に経営方針を大きく見直し、翌92年には「リゾート運営の達人として、所有ではなく運営を本業とする」という企業ビジョン、いわゆる「運営特化戦略」を発表した。

星野温泉の社長就任後、迅速な決断を下した背景にはどのような理由があったのか?

「1987年に制定されたリゾート法を契機に観光産業への新規参入が増えましたが、バブルが崩壊して供給過剰状態になっていたのです。これは裏を返すと、パフォーマンスの悪いリゾートが日本中にある、ということですから、そこを運営させてもらったほうが企業としては遥かに成長しやすい。つまり成長のスピードを手に入れられるということです。企業の速い成長を考えたときには、運営特化というのは、当時のマーケット状況からすると最も正しい選択だったと思います」

星野リゾート 星野 佳路

教科書通り。
星野リゾートの「フラットな組織文化」

「私が軽井沢の外で運営するチャンスをもらえたのは、2001年のリゾナーレ八ヶ岳という施設です。運営を任せていただくというよりも、金融機関から破綻したリゾートの再生を依頼された案件で、3年で黒字化しました。その成果もあって03年に磐梯山温泉ホテル、04年にトマムが開業。05年にゴールドマン・サックスから、投資する旅館全部の運営を任せたいという案件をいただき、成長軌道に乗っていったのです。

お気づきかと思いますが、リゾート運営の達人を標榜してから最初の一歩を踏み出すまで、10年かかりました。その間で最も注力したのは人材育成です。優れた運営会社になるためには優秀な人材が必要で、その人たちがモチベーション高く働ける組織が不可欠ですから、フェアな議論がフラットにできる組織文化の構築にじっくりと取り組みました」

「教科書」にしたのが、星野代表がコーネル大学時代に学んだ人材マネジメント・組織論の大家、ケン・ブランチャードが90年代に発表した論文「Empowerment Takes More Than A Minute」だった。経営情報を全スタッフに提供し、誰もが情報を得やすく、話しやすい環境をつくる。明快なコンセプトでビジョンを共有する。そして、チームワークを重んじ現場の社員にも裁量権を与える。それらを根気強く実践していった結果、フラットな組織文化が徐々に育まれていき、結果として社員が自発的に動くようになっていったという。

もちろん課題はある。成長とともに「星のや」「リゾナーレ」「界」「OMO(おも)」「BEB(ベブ)」といった5つのサブブランドを展開するいま、施設数は60に及び、60人の総支配人がいるのだが、すべての従業員が均一な『星野リゾート体験』をあまねく享受するためには、総支配人の育成が大きな課題となっている。「ここは、軽井沢の原点に戻って進化を図っていく」と星野は強調する。

「リゾナーレ八ヶ岳を3年で黒字化できたのは、人材面でその時点までに力を蓄えていたからと言えると思います。そして、教科書どおりに正しいマーケティングをしてきました。特殊なことをやってきたわけではありません。

例えば、マイケル・E・ポーターの『生産性のフロンティア』というのは、競合と同じレベル、スタートラインに立ちましょうという提唱ですが、2000年代の私たちのアプローチは、まさにこの教えに沿ったものです。海外に負けない、いままで日本になかったリゾートをつくろう。そこに集中し表現することを目指した結果、多くのお客様から『こういうリゾートは海外にしかないと思っていた』、という感想が届き、それが私たちが得た最初のリアクションでした。

経営学といってもそれほど難しい理論ではないはず。ただ、実際に教科書に従ってちゃんとやろうよ、というアプローチを採っている会社が観光産業には少なかったのだと思います」

地方の観光地に求める「真の自立」とは

星野リゾートが大切にするのは、「旅の楽しさの発信」と「地域と連携する観光」。既成概念を打ち破る顧客志向の滞在を具現化するとともに地域の魅力をハード・ソフトの両面から発信する。成功例のひとつが、「星のや竹富島」。島固有の文化と「ウツグミ(一致協力)」の精神に敬意を払い、ゲストが島の伝統工芸や祭りを体験できる催しや、スタッフが畑作を担うプロジェクトなどを実施。暮らしに溶け込みながら島の魅力を未来へつなげている。

沖縄県八重島諸島に浮かぶ人口350人の小さな島・竹富島には、沖縄返還後の数々の苦難を「ウツグミ(一致協力)の精神」で乗り越え、島を守り生かしてきた歴史がある。「星のや竹富島」はそのウツグミの精神と島固有の伝統文化に敬意を払い、敷地全体が竹富島のひとつの村のように景観に溶け込む。ゲストが島の織物や祭りなどを体験できる催し、スタッフが古くから伝承される畑作を担う「畑プロジェクト」、さらに滞在型を基本とすることで地元の飲食店も潤う。さまざまな工夫により人と人の交流が育まれ、島の観光産業の発展にも新風を吹き込んでいる。

星野リゾート 星野 佳路

もうひとつ、山口県の長門湯本温泉再生の一環として20年3月に開業した『界 長門』は、街全体で再生していこうという気概があり、「相当にうまくいっているケースだ」と星野は言う。

「最初は、閉業したホテルの跡地に温泉旅館を造らないかと長門市から打診を受けましたが、そこに界を建てても施設の黒字化は難しいと感じました。そこで温泉全体を再生するマスタープランを市に提出し、街の真ん中を流れる音信川(おとずれがわ)の川べりを生かして温泉街全体を再生する『長門湯本未来プロジェクト」へと発展させました。この提案に対して最も反応がよかったのが、陶芸家、旅館経営者、デザイナーなど東京や海外で学んで地元に戻ってきていた若者たち。フラットな関係で真剣に意見を交わし合い、アイデアを磨き、街も人も自然もそれに応えていく。そういった好循環が生まれています」

温泉街全体の再生は星野リゾートとしてはじめての挑戦である。このプロジェクトが進み始めると、それを知って都市部から移住してくる人もいたという。また近年は「星野リゾートの成長をロールモデルとして着目する経営者が増えているという感触も得られている。それぞれ私より若い年代です」と星野。「私は一貫して同じことを言っているだけ」と言うが、発明が、偉大な発明家に憧れを抱いて生まれてくるように、星野はリゾート産業のアントレプレナーとして、若い世代の夢と想像力を刺激し始めている。

「最初のころは、どこへ行っても星野リゾートが来たという感じで嫌がられていたと思います。ところが、最近は私が主張している内容に対してもすごく前向きで、受け止める側の意識がすごく高まっていますね。日本の観光地では、地域の馴れ合いによって悪い方向に向かっているところも少なくないのですが、切磋琢磨する健全な競争環境がベースにあり、その地域のコンセプトに合った外資を受け入れながら、地域のための共生活動ができるのなら、それがいちばんの理想だと私は思います。気概をもって自立しよう、自立したいという気持ちをもってほしい。そうでないと、インバウンド時代には観光地の逆転現象も起こり得ます。やはり健全な競争環境が整備されているほうが、中長期的には強くなるということです」

「健全な競争環境」は、星野リゾートの「フラットな組織文化」に通じるものがある。フラットな関係であることが、価値を最大化させる。成果の大きさを知っているからこそ、ブレることもない。物事に通底した哲学がビジネスを加速させていく原動力なのだろう。

世界に本物の
「温泉旅館」の感動を届ける

現在、星野リゾートではチームを編成し、北米において理想の土地探しを進めている。北米は星野が大学院時代を過ごした場所であり、グローバルのホテルチェーン各社がしのぎを削る本丸でもある。「西洋型ホテルの本物を知る人たちの心に日本の運営会社がスーッと入っていくためには、日本の文化や気持ちを入れた施設で勝負をするしか選択肢はないと考えています。やはり北米進出の第一号は、温泉旅館でいきたいですね。世界のホテル市場に温泉旅館という新しいカテゴリーをつくりたいと思っています」と言葉を躍らせる。

日本においては、年間60日のスキー滑走を目標にする星野にとって究極の楽しみともいえる、山のブランディングも始まっている。それは、谷川岳を舞台に世界中が憧れるパウダースノーの聖地をつくるビッグプロジェクト。「スキーは旅だ」と言い切る経営者に妥協はない。

時代を先取りして滑走し続ける星野を突き動かすもの、モチベーションとは何か?

「私の場合はやはりファミリービジネスですね。108年続く非上場の会社の経営者の役割は、100年後に生き残るための策を淡々と打ち、よい形でバトンを次に渡すこと。これは個人のプレーヤーにはない使命であり、モチベーションの原点だと感じます。そしてその仕事をより速く、懸命にやるためのモチベーションが、スキー滑走日を増やしたいという願望です。80歳になって余裕ができてから100日滑走に挑むのはさすがにハードルが高い(笑)。六十代で何日滑れるか、その限界に挑む楽しさを全身で感じ取る。そういったことが大事なんですね」

軽井沢の自然を駆け抜けた少年が垣間見える。実家の温泉旅館の変革から始まったビジネスストーリーは、定石を重んじ、自身の楽しみの追求を熱源に、拡張を続けていく。

EY Entrepreneur Of The Year 2022

星野佳路
1960年、長野県軽井沢町生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程修了。91年、星野温泉(現在の星野リゾート)社長に就任。所有と運営を一体とする日本の観光産業でいち早く運営特化戦略をとり、運営サービスを提供するビジネスモデルへ転換。現在の運営拠点は、「星のや」「界」「リゾナーレ」「OMO(おも)」「BEB(ベブ)」の5ブランドを中心に、国内外60施設に及ぶ。

星野リゾート
本社/長野県北佐久郡軽井沢町星野
URL/https://www.hoshinoresorts.com
従業員/4,038人(2022年4月1日 時点)

Promoted by EY Japantext by Sei Igarashiphotographs by Shuji Gotoedit by Akio Takashiro