Sansan 寺田 親弘

EY Entrepreneur

Of The Year™ 2022

Finalist Interview

Finalist 

Interview

アントレプレナーたちの熱源

Sansan

代表取締役社長/CEO

神山まるごと高等専門学校 理事長

寺田 親弘

#09

2023年4月、徳島県神山町にひとつの学校が開校する。神山まるごと高等専門学校−−−日本で高専が新設されるのは、実に19年ぶりのことだ。「テクノロジー×デザイン×起業家精神」をコンセプトに、日本の未来を変える人材の育成を目指す。その創設に奔走したのは、理事長を務める寺田親弘。Sansanの創業者だ。

イノベーションは
陳腐化してはじめて完成する

父親が経営者である寺田にとって社長は身近な職業であり、起業家を志すのは自然なことだった。子どものころから、会社をつくって社会にインパクトを与えたいと考えていた。「少年の野心だった」と寺田は振り返る。

新卒で三井物産に入社する際も、起業したいと公言していた。30歳のとき、それを実行に移すべく会社を辞めた。具体的な計画があったわけではないが、現在の主力サービスである名刺のデータベース化は、三井物産時代から頭の片隅にあった。

「日々、たくさんの名刺をもらいますが、その管理は非常に煩わしい。それをデータベース化できないかと、ずっと考えていました。僕自身に通底する考え方として、身近で手触り感のある課題からしかビジネスを着想できない。当社として推計したら、日本だけでも数十億枚、世界を見渡した数百億枚の名刺が1年間に使われています。それは人と人との出会いの証しであり、これをハックできたらビジネスに奥行きができるのではないかと考えたのです」

寺田は起業しようと模索するなかで、これをビジネスにしようと考えるようになる。そして07年、4人の仲間を集め、「Sansan」を設立したのだった。

法人向けサービス「LinkKnowledge(現「Sansan」)」の提供を開始すると、それまで名刺をクラウドで管理するというサービスが存在しなかったため、徐々にユーザーは増えていった。13年にテレビCMの放映を開始すると、知名度は一気に上がった。19年には東証マザーズへの上場を果たし、営業DXサービスや請求書管理など、製品群も拡充していった。ところが寺田には、いまだ達成感がない。

「手応えを感じたのはいつごろかとよく聞かれるのですが、すぐに手応えを感じたような気もするし、ずっとないままのような気もします。起業するとき、アップサイドは無限で、世界を変えようと思っていました。一方、うまくいかない場合は最悪、会社が潰れる。ダウンサイドは倒産以上でも以下でもない。ある意味、限定的です。Sansanの現在地を下から見ると、倒産もせずに15年やってこれた。うまくいっている感じがあると思うのですが、上を見ると、世界を変えられたのか。何も達成できていない気がするのです」

寺田が目指しているのは、これまでになかったイノベーションを起こし、Sansanがビジネスインフラになることだ。それはすでに達成されているようにも見えるが、寺田に言わせるとその実現は遠い。

「イノベーションというのは、それが陳腐化してはじめて完成するという感覚があります。つまり、それがありがたがられている時点では、イノベーションは完成していないのです。例えば電気がつくことには、イノベーションの残存すら残っていません。そういう状態になるのがテクノロジー業界のインフラだと考えているので、私たちはまだ道半ばにあります」

それでも地平を切り開いてきたという自負はある。

「成功したとは言えないものの、私たちがやっていなかったら誰かがやっていただろうとも思えません。自分たちがいなかったら、名刺というビジネスの出会いのデータベース化は実現できなかったという思いでこれまでやってきました」

Sansan 寺田 親弘

起業の10倍大変だった学校法人の設立

切り開いたのはビジネス市場だけでない。2010年には業界の先駆けとして、徳島県神山町にサテライトオフィスを設けた。

「当時は働き方が多様になることにスポットが当たるとは思っていませんでしたし、意識もしていませんでした。単純に会社の競争戦略の一環として始めました。サテライトオフィスを設けることによって、一人ひとりの生産性や想像力が上がるのではないかという仮説を立て、いまもその延長線にいるのです」

その神山で寺田は学校の設立を目指すわけだが、構想し始めたのは16年だった。

「社会的にビジネスだけをやっていればいいという立場ではないと思うようになり、未来の自分に対して何かを仕掛けていかないと、視野が狭くなってしまうという危機感がありました。それで行き着いたのが教育だったのです。私自身、自分の起業家としてのスキルや考え方のほとんどは、教育によって得られたものではない。それはまずいと思ったのです」

場所は、総合的に考えると神山が最適だった。サテライトオフィスを運営してきたことで、地元との信頼関係があったことと、ここには人を惹きつける磁力があったからだ。

寺田は、上場企業の社長を続けながら学校法人の設立を目指すようになる。ただそれはそう簡単なことではなかった。寺田にとって誤算だったのは、会社の設立とはまったく違うということだった。

「文科省の認可審査が大変でした。学校は途中で潰れたら影響が大きいため、極端な話、高専の学生が入学から卒業までに必要な5年間どころか未来永劫続くことを証明することを求められます。会社設立したその日に、上場をするようなものです。それを証明するための資金集めにも苦労しましたし、起業の10倍は大変でした」

寺田は、Sansanでは15年間で150億円以上の資金を調達してきた。神山高専でも100億円以上を集めたが、その労力は比にならなかったという。資金を拠出する側からすると、相手が企業の場合、利益が出たら配当というリターンがある。ところが学校の場合はそれがなく、純粋な寄付なのだ。寺田は熱意を伝えるために、1年間に300回以上のプレゼンを行った。

「想いを伝えるため、パッションを込めて話さなければならないのですが、自分のコンディションが常にそういう状態かと言ったらそんなことはありません。しかし、保護者や学生、教員、行政など多くのステークホルダーがいて、さらには動いてもらっている人もいる。資金が集まらなかったどうなってしまうのだろうという責任感に突き動かされてパッションを維持できました」

共感の力は雪だるまのように膨らむ

神山を未来のシリコンバレーにし、日本の未来を変える人材を育てる−−−。その寺田の想いへの共感が、支援者の輪を広げた。

「1人ではできないので、人を巻き込みながらやっていく必要があります。誰かを巻き込めたとき、自分の言い出した絵空事が誰かにとっての本気になる。それがエネルギーになりました」

そうして寺田は、開校に必要な資金を集めたのだった。21年10月に設立認可の申請をし、22年8月にようやく認可された。その結果を知ると、「自分が思っている以上にこみ上げてくるものがあった」と寺田は感慨深げに言う。

「共感の力はすごいと思いました。そしてそれは、雪だるまのように膨らんでいくのです」

サマースクール期間中に学生たちにプレゼンを行う寺田。神山まるごと高等専門学校の開校以降は自らも教壇に立つと意欲的だ。

Sansan 寺田 親弘

開学するだけでも大変なことだが、寺田はさらに高いハードルを課した。5学年分の全学生200名の学費を無償化しようというのだ。

「いい学校、エッジの効いた学校をつくろうとすると、たとえ儲けようとしなくても学費は高くなります。それでは、お金持ち向けの学校が一つできただけ。富裕層には教育の選択肢が無限にあるので、それでは意味がありません。無償にすれば、学校選択において貧富の差が関係なくなると思ったのです」

無償化には100億円が必要だが、その資金集めは佳境に入っている。いよいよ開校を間近に控え、応募する学生と触れる機会もある。寺田は、その学生たちを自分の学生時代に重ねる。

「私自身、中学校3年生のころに抱いた起業への思いは、志とも言えるけど、野心に近いものでした。でも物事は、野心的なものが最初のトリガーになって動き始めることが多いと思うのです。野心に人はついてきません。しかし、その野心が徐々に研ぎ澄まされることで志に変わり、みんなが共感できるものに仕上がっていくのです。この学校は、野心的な子たちの集まる場所になってほしい。僕も野心的な少年で、起業も学校の設立も、野心から始まっています。アントレプレナーシップとは、野心なのではないかと思うのです」

EY Entrepreneur Of The Year 2022

寺田親弘
1976年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後の1999年、三井物産株式会社に入社。米シリコンバレーでのベンチャー企業の日本向けビジネス展開支援や社内ベンチャーの立ち上げなどを経て2007年、4人の仲間とSansanを創業。2019年に東京証券取引所マザーズに上場し、2021年に東証一部に市場変更。2022年、東証プライム市場へ移行。

Sansan
本社/東京都渋谷区神宮前5-52-2 青山オーバルビル13F
URL/https://jp.corp-sansan.com
従業員/1,166人(2022年8月時点)

Promoted by EY Japantext by Fumihiko Ohashiphotographs by Shuji Gotoedit by Akio Takashiro